共通する廃虚からの復興
ウクライナ侵攻の中で意味探る
(藤橋進撮影).jpg)
第2次大戦末期、ナチス・ドイツ占領下のポーランドで、地下国家の軍と市民が武器を取って立ち上がったワルシャワ蜂起から、来年で80年となるのを前に、「ワルシャワ。灰の中から甦(よみがえ)る不死鳥」展が、ワルシャワ蜂起博物館などの主催で広島市の旧日本銀行広島支店で開かれている。
1944年8月1日、ソ連軍がワルシャワに進軍する中、ロンドンのポーランド亡命政府は、ソ連軍が占領する前に自力での首都解放を決意、地下国家の軍ら2万5000人が一斉に蜂起する。蜂起軍は手榴弾(しゅりゅうだん)や火炎瓶などの貧弱な兵器しかない中、63日間戦い続けるが、ソ連の非協力もあり、結局ドイツ軍によって鎮圧される。
蜂起を知らされたヒトラーはワルシャワを壊滅させて更地にし、全欧州への見せしめにするよう指示。その命令に従い、ワルシャワの街は徹底的に破壊された。さらにドイツ降伏後は、ソ連占領下、自由主義者への弾圧が始まり共産化の運命をたどることになる。しかし80年、ワレサ氏率いる「連帯」運動が起こり89年には非共産党政権が誕生、東西冷戦終結の魁(さきがけ)となった。そしてワルシャワも近代都市として復興する。
同展は、このように破壊から復興を成し遂げたワルシャワの道のりを写真のパネル展示で振り返り、今日的な意味を探るものだ。開会セレモニーで、パベウ・ミレフスキ駐日ポーランド大使は、展覧会がワルシャワと同じく廃虚の中からよみがえった広島で開かれることの意味深さを強調。またウキエルスキ同館副館長は「シリアやウクライナで町が破壊される中、ワルシャワや広島のように復興できるという希望のメッセージを発信したい」と訴えた。
展示は、20世紀初頭「北のパリ」と呼ばれたワルシャワの繁栄から始まり、ドイツによる徹底した破壊の様子のほか、抵抗する市民の姿、蜂起後、約150の新聞雑誌が発行され、軍の広報誌も3万部発行されたことなど、貴重な写真で紹介されている。
結果的には失敗に終わり、ナチスによる徹底的な破壊を招いたワルシャワ蜂起には、今も議論が続いているようだ。確かにその犠牲、損害は、あまりにも大きかった。しかし、同博物館のヤン・オウダコウスキ館長は展覧会図録のメッセージでこう述べる。
「それでも、自由のための闘争の伝統は、共産主義者が宣伝に努めたにもかかわらず生き残り、ソ連への屈従の時代を通してポーランド人とともにあり続けました。民主的な反体制と<連帯>運動はその伝統に依拠するものでした。45年後に究極的に勝利をおさめたのは、その伝統でした」
蜂起50周年の式典でワレサ大統領(当時)は、「蜂起兵の皆さん」と呼び掛け、語った。「皆様の戦いは無駄ではありませんでした!自由なポーランドは皆様に敬意を表します!ポーランド大統領は、あなた方の前でこうべを垂れます!」。
蜂起はポーランドの真の独立だけでなく、冷戦の終結にまでつながった。同展は来年2月5日まで。入場無料。
(特別編集委員・藤橋進)