世界遺産「平泉」への拡張登録目指す
世界遺産「平泉」に新たに五つの資産の拡張を目指す動きが進んでいる。その一つが「骨寺村(ほねでらむら)荘園遺跡」だ。
「骨寺」というと何かおどろおどろしいが、亡くなった人の骨の一部を納めたとか、墳墓堂だった、とか諸説ある。鎌倉時代の後期には廃寺となり、今は跡を確認できない。
岩手県一関市厳美(げんび)町の本寺(ほんでら)地区にあり、中世の村の姿を今も残すとして平成24年に「平泉」の拡張登録の暫定リストに記載された。江戸時代以降に「骨寺」が「本寺」に変わった。観光地の厳美渓は車で西に約18分。一ノ関駅から北の平泉駅までは電車で約8分と近接している。
一関市の中心部から国道342号を栗駒山に向かう途中にある。鎌倉時代の歴史書『吾妻鏡(あずまかがみ)』に村の四方の境が示され、中尊寺に伝存する2枚の絵図に描かれた中世の姿がそのまま現在も見られるということで貴重だ。国内には約40点の代表的な荘園絵図があるが、ここほど写実的に描いたものは他にないという。
山々に囲まれた村の範囲は広く、曲がりくねった水路と不整形な水田が広がり、イグネ(屋敷林)に守られた家々が点在し、神社や祠(ほこら)が祀(まつ)られている。
全体は東西約8㌔、南北は広い所で約3㌔にもなるが、その一部でも体感しようと、国道沿いの骨寺村荘園交流館「若神子亭(わかみこてい)」の向かいから村の道路に入り、反時計回りに進んでみた。なお同館では映像や展示での紹介、レストランや産直品の販売がある。
少し進んで「要害橋」を通り過ぎると、刈り取った稲を棒掛けする光景が見られる。舗装道路は狭くて、車は軽自動車であってもすれ違うのは難しい。「遺跡」と言っても農家の住民が車で動き回る生活の場そのものだ。駒形根神社の前には江戸時代など10を超す石碑があり、時代の古さを感じる。振り向くと広い田んぼが広がっていた。
この荘園ができた経緯を説明書から引用すると「12世紀、平安浄土の国づくりを理想に掲げた藤原(ふじわらの)清衡(きよひら)は、自らの発願による『紺紙(こんし)金銀字交書(こうしょ)一切経』(国宝)の完成に尽力した僧・自在房(じざいぼう)蓮光(れんこう)を、そのお経を納める中尊寺経蔵(きょうぞう)の初代別当に任命した。そこで蓮光は私領であった骨寺村を経蔵に寄進し、経蔵の維持のための費用をまかなう土地(荘園)」となった。
(伊藤志郎、写真も)