#14 「2年ぶりのカレーとあんぱん」あまりの嬉しさに涙がこぼれた【後藤さんの闘い・解放から入院へ④】

本記事は2010年2月より本紙に掲載された連載「"拉致監禁"連鎖」の1回~50回を計15回に再編集したものである。今年7月に開催されたシンポジウムでジャーナリスト鈴木エイト氏は後藤徹氏が被った拉致監禁事件を「引きこもり」と曲解し「どうでもいい」と言下に切り捨てたが、「拉致監禁」は憲法に違反し、人権を完全に侵害する事件である。後藤氏は10月4日、東京地裁に名誉毀損の損害賠償を求めて鈴木氏を提訴した。拉致監禁とは何か、後藤氏らはその真相を今もなお追い続け、闘いを続けている。

98年に「後藤」の名が 宮村氏、別の監禁女性に漏らす

守衛からの電話で「13年」という監禁期間と「後藤」という名前を聞いた当時の統一教会広報部長・太田朝久氏が、「本物だ!」と興奮して叫んだのはどうしてなのか。

カレンダーを1997(平成9)年6月7日に戻す。この日、「4300人」(統一教会の主張)という拉致監禁被害の中でも、極めて異常な事件が起きた。「鳥取教会襲撃事件」と呼ばれている事件だ。

後藤徹さんのケースのように、統一教会信者に対する強制棄教は通常、信者が実家に帰るか、1人になった時を狙って拉致し、マンションの一室に監禁するという段取りで行われてきた。しかし、この事件の被害者、富澤裕子さん=当時(31)=の場合は、暴力がさらにエスカレートした凶悪性が目を引く。白昼、鳥取教会内に侵入した暴徒と言うべき人たちによって、暴力をもって拉致されているからである。

富澤さんの陳述書や関係者の証言によると、事件はおおむね次のようなものだ。すでに一度、監禁を経験していた富澤さんはこの日午後、教会内で女性の教会員1人の立ち会いの下、母親との話し合いを行っていた。ところが、そこに突如、父親をはじめ十数人が乱入してきた。その中にはスタンガンや鉄バール、鎖を持っている者もおり、止めに入った教会職員らには暴行が加えられた。

「助けて! いやだ、いやだ」と泣き叫びながら、富澤さんは必死に抵抗したが、男数人に担ぎ上げられ、力ずくで車に押し込められて連れ去られてしまう。統一教会信者に対する拉致監禁事件の中でも、例のない常軌を逸した暴力による手口だった。

結局、富澤さんは1年3カ月余の監禁を経て、98年9月に自力脱出に成功するが、その半年前の同年3月9日、監禁されていた大阪のマンションに、東京から元信者2人を引き連れてやってきたのが悪名高い脱会屋の宮村峻氏だった。

富澤さんの脱会説得を行ったのは、キリスト教神戸真教会の高澤守牧師だった。宮村、高澤の両氏は反統一教会派牧師らの中でも、特に親しい仲で、常日ごろから強制脱会活動の情報交換を密に行っていたといわれる。

宮村氏が大阪までやって来たのは、監禁から9カ月たっても脱会しない富澤さんの説得に高澤牧師がてこずっていたからだ。そこで手伝うためにやってきた宮村氏だが、実際に彼女の前で、激しい口調で統一教会批判を行ったという。

信仰を守り自力脱出に成功したとしても、監禁によって心身を病んだり、著しい障害を負う信者は少なくない。脱出からほどなくして、心身のケアのため上京した富澤さんは、太田部長に会った。その時、富澤さんが真っ先に伝えたのが、後藤さんについて語った宮村氏の次のような言葉だった。

「東京に、説得し始めて2年半になるヤツがいるが、言うことを聞かずに、いまだに抵抗している。後藤というヤツだ」

富澤さんは監禁中、この言葉が頭から離れなかった。「この話を聞いてから半年になりますから、(監禁から)もう3年になっているはずです。後藤さんから脱会届けが来ていなければ、今も監禁され続けています」と、太田氏に訴えたのだった。

富澤さんから3年も監禁され続けている教会員がいると聞いて、「すさまじい人権侵害じゃないか」と強い衝撃を受けた太田部長。それからも、「後藤」という名前が頭から離れなかったという。

守衛から電話で、浮浪者のような姿の後藤と名乗る男性が13年近くの監禁から解放されたばかりだと訴えている、と知らせを受けた瞬間、太田部長の頭で逆算が始まっていた。

<98年から3年引くと95年。2008年から13年引くと95年。よし、ピッタリ合う。後藤は、間違いなく拉致監禁の被害者だ!>

守衛が太田部長に電話したことは後藤さんにとって、信者A子さんと出会ったことに次ぐ幸運だった。

2年ぶりのカレーに涙 ようやく教会に保護される

信者に対する拉致監禁に詳しい太田朝久・統一教会広報部長によって、浮浪者ではなく、本物の拉致監禁被害者であることが確認された。ようやく、後藤さんは同教会本部に保護されることになった。

受付前にへたり込んでいた後藤さんを奥の応接室に案内したあと、守衛はすぐに近くのコンビニに走った。購入したのはカツカレー、あんパン、肉まん、ヨーグルトだった。

監禁中の食事制裁で、後藤さんを一番悩ませたのは、監視する家族が食べるカレーの食欲を強く刺激するにおい。自分だけ食べることができずに、耐え難い思いをした。肉もまったく口にできなかったし、大好きなあんパンも、どれほど食べたかったことか。

応接室に座って、一息ついた後藤さんの目の前に並んだのは、2006(平成18)年4月の30日ハンスト以降、初めてのまともな食事だった。それも「食べたい」と思い続けた食べ物ばかりで、あまりのうれしさに、涙がこぼれた。

そのころ、守衛からの電話で後藤さんの解放を知った太田部長は、電車に飛び乗って本部に向かっていた。車中、気になったのは後藤さんの心身、特に精神状態に異常はないか、ということだった。12年5カ月も監禁され続ければ、心が病んでも不思議ではない。

実際、強制棄教を目的とした拉致監禁の被害者の中には解放後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に悩まされるケースが少なくない。PTSDとは戦争や災害、犯罪の被害などで強い恐怖感を体験することで、その体験を突然思い出す(フラッシュバック)、体験した場所に近づけない、不眠やイライラする状態が続くなどの精神的な障害で、治療が長期化することもある。

解放から2年近くのちに行った取材班のインタビューで、後藤さんは「今でもノックの音を聞くと、体がこわばってしまう」と語っている。監禁中、ドアをノックする音が、棄教の説得に来た脱会屋のドアを開けろという合図だったからだ。それでも、後藤さんのケースは後遺症としては、まだ軽い方だろう。

拉致監禁から10年以上も経ているのに、情緒不安や不眠が続き、障害者手帳3級が認定された女性被害者もいる。アパートなどに5カ月間、監禁された女性は、拉致された時に使われたのと同じワンボックスカーを見るたびに、「私を監禁しに来た車ではないか」と、恐怖に襲われたという。

こうした拉致監禁による“二次被害”の実例を知っている太田部長が後藤さんの精神状態を心配したのは当然で、本部には不安を胸に「恐る恐る着いた」という。そして「良く逃げてこれましたね!」と声を掛けた後藤さんを見た限りでは健康そうだし、精神に異常を来しているようではなかった。〈廃人になっていなくてよかった〉と、ほっと胸をなで下ろしたのが正直な気持ちだった。

だが、このあと、後藤さんがまったく動けなくなっていたことが判明する。監禁場所の東京・荻窪から松涛の統一教会本部までの約10㌔を、最後は這(は)うようにしてたどり着いた一昨年2月10日。後藤さんの長い長い1日はまだ終わらなかった。

背負われて緊急入院 栄養失調で体重39・2㌔に

信仰を奪う目的で行われる拉致監禁事件は自力で脱出するか、脱会するなどによって、ほとんどの場合、数カ月以内で終わる。45回で触れた「鳥取教会襲撃事件」の被害者、富澤裕子さんのように、1年を超える監禁はそれほど多くはない。

ましてや後藤徹さんのように12年5カ月という監禁期間は前代未聞の長さで、その被害の苦痛は想像を絶するものがある。

従って、この極めて悪質な人権侵害からの解放は、1960年代後半から始まったといわれる統一教会信者への強制脱会の歴史の中でも、特筆すべき重大ニュースである。

このため、守衛から電話連絡を受けた太田朝久・広報部長はすぐに何人かの教会関係者に後藤さんの解放を知らせた。太田部長が東京・渋谷の同教会本部に到着して間もなく、そのうちの1人(男性職員)も駆け付けた。

太田部長はその男性職員とともに、この重大事件を記録に留めるため、応接室で食事を終えた後藤さんから、拉致から解放までの事情を聞いた。それが終わった時には、時計の針は夜11時を過ぎていた。どこにも行く当てのない後藤さんはこの夜、応接室の隣にある和室に泊まることになった。

だが「そろそろ休みましょう」と部屋の移動を促しても、後藤さんはそれまで座っていた応接室のソファーからまったく立ち上がれない。両脇から2人に抱えられるようにして、何とか和室に移動して横になるが、今度は部屋に隣接するトイレに行こうにも1人では起き上がれない。たとえ這って行ったとしても、それでは用が足せないことに、太田部長らは気が付いた。

「これはちょっと深刻だ。これでは通常の生活ができない」(太田部長)。素人目には、健康そうに見えても、何といっても12年を超える監禁である。<重大な疾患に体が侵されていても不思議ではない>。そう考えた太田部長らは都内の病院に電話をし、夜間診療で後藤さんを診てもらうことにした。

病院までの移動はタクシーを使った。乗り場まで、男性職員が後藤さんを背負った。病院に到着した時、日付は「2月11日」に変わっていた。診察室には、あらかじめ電話で用意を頼んであった車椅子で移動した。

取材班は後藤さんの同意書を手に、当直の内科医にその時の後藤さんの様子を聞いた。「精神的には、極めて冷静で落ち着いていた」というが、両膝の痛みを訴えたほか、脱水症状と極端な栄養失調を疑わざる得なかったという。長期の監禁は言うまでもなく、2年近く続いた食事制裁と無一文で放り出すように解放した、家族らによる人権侵害の深刻さは数字の上にもはっきり表れた。

車椅子から1人では立てなかった後藤さんは看護師に支えられながら、デジタルの体重計に乗った。看護師が手を離したあと、体重計の示した数字は「39・2」。身長182㌢の男性の平均体重は約73㌔。それを34㌔近くも下回る「極端な、るいそう(やせ衰えること)」(当直の内科医)だった。後藤さんは即、緊急入院となった。


連載一覧はこちら ―拉致監禁・強制改宗―続く後藤さんの闘い

関連記事

#13 「私も食口ですよ」A子さんとの出会い「全細胞が感動して」涙【後藤さんの闘い・解放から入院へ③】

#14 「2年ぶりのカレーとあんぱん」あまりの嬉しさに涙がこぼれた【後藤さんの闘い・解放から入院へ④】

#15 「二度と犠牲者を出さない」検察は不起訴処分、後藤さんの闘いが始まった【後藤さんの闘い・解放から入院へ⑤】

#1 「しまった」気づいたときにはワゴン車に押し込まれた 【後藤さんの闘い・新潟①】

spot_img