#13 「私も食口ですよ」A子さんとの出会い「全細胞が感動して」涙【後藤さんの闘い・解放から入院へ③】

本記事は2010年2月より本紙に掲載された連載「"拉致監禁"連鎖」の1回~50回を計15回に再編集したものである。今年7月に開催されたシンポジウムでジャーナリスト鈴木エイト氏は後藤徹氏が被った拉致監禁事件を「引きこもり」と曲解し「どうでもいい」と言下に切り捨てたが、「拉致監禁」は憲法に違反し、人権を完全に侵害する事件である。後藤氏は10月4日、東京地裁に名誉毀損の損害賠償を求めて鈴木氏を提訴した。拉致監禁とは何か、後藤氏らはその真相を今もなお追い続け、闘いを続けている。

聖歌を目にし顔緩む 道聞いた信者近くにも被害

東京・荻窪の監禁場所から歩き続けた後藤徹さんは、東京・渋谷の山手通りにある「松涛2丁目」交差点で、一歩も動けなくなった。それから、10分ほどたっただろうか。

統一教会本部への道を尋ねるため、中年男性に続いて声を掛けた若い女性は「えっ」と驚いたような表情をした。

「世界基督教統一神霊協会です」と、教会の正式名称を挙げて、再び尋ねた後藤さんに対して、その女性は「どうされるのですか」と逆に聞いてきた。そこで「信じてもらえないかもしれませんが」と前置きし、12年を超える拉致監禁から解放されたばかりであることを打ち明けた。

すると、女性はおもむろに、バッグから大きな聖歌を取り出して「私も食口ですよ」と言いながら後藤さんに見せた。「食口」とは「家族」を意味する韓国語で統一教会内で、同じ教会員に対して親しみを込めて使う言葉だ。

つまり、この女性は、後藤さんが拉致監禁された1995年9月11日以来、12年5カ月ぶりに出会った統一教会信者だった。後藤さんが放り出されるように解放された2008年2月10日は日曜日。キリスト教会では日曜礼拝が行われる日である。

女性は日曜礼拝で神を賛美する聖歌隊に入っており、聖歌を持ち歩いていた。聖歌を見せた時、その女性は、それまで硬かった後藤さんの顔がほっとしたように緩んだのがはっきり分かったという。

のちに、統一教会に調べてもらい、この女性は教会の信者で、会社員のA子さん=当時(31)=と分かった。後藤さんが動けなくなった場所が、松涛2丁目交差点だったことを証言したのもA子さんだ。取材班のインタビューで、A子さんは超長期間の拉致監禁から解放されたという後藤さんの説明を「そうなのか」と、素直に受け取ったという。

この時、後藤さんは何枚も重ね着した上に、ジャージーのズボン、それに革靴という格好。まるで浮浪者のような姿で、にわかには信じ難い長期の拉致監禁被害を語る男性の話を、どうしてA子さんは不審に思わなかったのだろうか。

その理由も、統一教会信者に対する拉致監禁の広がりを示すものだった。

A子さんは東京都内の教会で伝道されたが、その教会では統一教会に反対するキリスト教牧師らによる強制棄教の被害に遭う信者が少なくなかった。A子さんを統一教会に導いた女性もその一人だった。北海道の実家に帰ったあと、それきりになってしまい、最終的に棄教している。A子さんは「軟禁されたと聞きました」という。

2000年のことだが、強制棄教させるための拉致監禁事件を身近に感じていた統一教会員が多いことを物語るエピソードと言えよう。こうした背景を知れば、帰宅途中だったA子さんが偶然に声を掛けてきた後藤さんの説明をそのまま信じたのも納得できる。

2月10日といえば、東京では一年で最も寒い時期。長期の“食事制裁”で栄養失調に陥っていた後藤さんが、そのまま路上に倒れていたら、どうなっただろうか。

「普通の姿だったら、誰かに助けていただいたでしょうが、浮浪者のようないでたちだったので、凍死していたかも。ホームレスではあることですからね。あそこで、教会の人に会うなんて、あり得ない。奇跡です」(後藤さん)

義足に見えた細い足 タクシーで本部に向かう

偶然、後藤徹さんから声をかけられた統一教会の信者のA子さんは、<どうしたものか>と思い、知人の信者に電話をかけた。12年を超える監禁から解放されたばかりの男性から、統一教会本部までの道を尋ねられたことを説明するが、「どうしてA子さんに声をかけたのか」と、すぐには信じ難い様子だったという。

<そう言われればそうだが…>。最初は後藤さんの説明を素直に信じたA子さんだったが、知人と話したことで、少し不安も覚えた。でも、このまま放ってはおけない。

A子さんの記憶では、この時、午後7時55分くらいだったという。2人が出会った「松涛2丁目」(東京・渋谷)の交差点から、統一教会本部までは歩いて15分ほどの距離。しかし、本部の玄関は午後8時で閉まってしまうので、A子さんは腕時計で時刻を確かめたのだった。

<お連れしても、閉まってしまうわ>と、迷っていると、後藤さんが「無一文なんです」と打ち明けた。

「この道を(東急デパート本店方面に)真っすぐ行って、左に曲がると、本部に行けますが、歩けますか?」と、道順を教えてから尋ねた。しかし「もう歩けません」と言って後藤さんは、へなへなと道端に座り込んでしまった。

このとき、A子さんから見た後藤さんは、ガリガリに痩せていたという印象はなかった。182㌢の長身で肩幅も広い。後に病院で、「栄養失調」と診断された。監禁前に70㌔弱あった体重が39㌔まで減っていたことが明らかになったが、セーター3枚を入れて7枚もの重ね着をしていたため、一見しただけでは、後藤さんの衰弱と激痩せ状態に気付かなかったようだ。

だが、このときの後藤さんについて、A子さんには印象深かったことがある。「義足なんだろうな」と思ったというのだ。ジャージーのパンツからのぞいた足は棒のように細かった。「とても、生身の人間の足には見えませんでした。杖も持っていたので」。後藤さんは靴下を2枚はいていたが、筋肉が落ちて骨と皮だけになった足の異常な細さは隠しようがなかった。

後藤さんが歩けないと知ったA子さんは、タクシーを止めた。統一教会本部の場所を知らないという運転手に、おおよその道順を教えてから「1000円で足りますよね」と確認して、五百円硬貨2枚を渡した。

タクシーに乗る前、後藤さんは「お名前は?」と尋ねたが、「ご縁があれば、またお会いできるでしょう」と応えたA子さん。この会話で2人は別れた。

他人から親切を受けた時、“人の温かさに触れた”とよく表現する。しかし、後藤さんにとって、A子さんの親切は“人の温かさ”という言葉をはるかに超えていた。

1995(平成7)年9月11日に拉致監禁されて以来、後藤さんが接触したのは両親、兄夫婦、妹、タップ社の宮村峻社長、新津福音キリスト教会の松永堡智(やすとも)牧師ら棄教を迫る人物ばかり。信仰の自由だけでなく、人格のすべてを否定され続けてきたのだった。

12年5カ月ぶりに自分を人間としてそのまま受け入れてくれた人―。後藤さんにとって、それがA子さんだった。タクシーに乗った後藤さんは「全細胞が感動して」涙をぼろぼろ流していた。

不審者に間違われる やっとたどり着いた教会

東京・渋谷の「松涛2丁目」交差点から、松涛1丁目にある統一教会の本部までは、近道を通れば、車ではほんの数分で着く。しかし、後藤徹さんが乗ったタクシーの運転手は道に不案内だったため、かなり遠回りをしてしまった。本部前に着いた時には、料金メーターは信者のA子さんが出してくれた1000円を超えていた。

正直に無一文であることを告げると、運転手は「じゃあ、いいよ」と、それ以上は要求しなかった。12年を超える拉致監禁の被害者であることに気付くはずはないが、破れたセーターを着て浮浪者のような姿だった上、A子さんの親切に触れて車内でボロボロ涙を流した後藤さんの様子に、運転手はただならぬ事情があることを感じたのだろう。

統一教会本部前の道は一車線の一方通行。タクシーの乗客は、本部玄関とは道を挟んで反対側に降りる。このため、車を降りた後藤さんは5㍍余りの道を横断しなければならなかった。

だが、荻窪から渋谷まで歩き続けた足の痛みは限界を超え、膝に手を添えながら片足片足をゆっくり動かすのがやっとだった。途中で杖代わりに拾った棒はタクシーに乗った際、交差点に置いてきてしまった。本部を目の前にしながら動かない足に、どれほどのもどかしさを感じたことか。

必死の思いで本部の玄関先にたどり着いた時、すでにシャッターが下りていた。午後8時を過ぎており、A子さんが心配した通りだった。やむなくインターホンのボタンを押す。間もなくして、シャッターが開き「どなたですか」と、ガラス戸越しに男性が顔を見せた。夜間の守衛だった。後藤さんは玄関ドアを開けて中に入ると同時に、「座らせてください」と断って、受け付けカウンター前に座り込んでしまった。重ね着をし、ジャージーのズボンに革靴といういでたちの後藤さんに、守衛は怪訝な表情を浮かべた。教会には悩みを抱えたり、行き場を失ったりした人など、常日ごろからさまざまな人がやって来る。後藤さんが不審者に間違われても不思議ではない。

床に座った後藤さんは、棄教を迫る親兄妹らによって1995年9月11日から13年近く監禁され、「今日、解放されて出てきたところです」と説明した。しかし、守衛はにわかには信じがたいといった面持ちで、「いや、そうですか。ご両親は東京にいるんでしょ。うちではちょっと困るので、ご両親のところに帰ったらどうですか」と、後藤さんを諭すのだった。

行く当てのない後藤さんは<今解放されたばかりなのに、またそこに帰るわけにはいかない>と困惑したが、顔はニコニコして嬉しそう。監禁からの解放感からだったが、かえってその表情が守衛に不審者との誤解を与えたようだ。「出て行ってください」と、それ以上は相手にしてもらえる雰囲気ではなくなった。

<これは理解してもらうのは難しいかな>。だが、足はもう動かない。「本当に申し訳ありませんが、立てない状態なので、なんとかしていただけないでしょうか」と懇願した。

困った守衛は、教会信者の拉致問題に詳しい太田朝久・広報部長に電話をかけた。

この時、守衛と太田部長との間で、こんなやりとりが交わされた。

守衛「13年も監禁されたと言ってます」

太田「13年?(しばらくして)名前は何て言っているの」

守衛「後藤です」

太田「えっ、後藤!」「間違いない! その人は本物です。中に入れて、助けてあげてください!」


連載一覧はこちら ―拉致監禁・強制改宗―続く後藤さんの闘い

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