その背景にあるもの
希望に対する不屈の精神
「そこに山があるから」という名台詞(せりふ)は、テレビの登山番組でよく使われている。「なぜ山に登るのか」という問いへの返答だが、実際のところ、何も答えていないに等しい。
今西錦司は「なぜ山に登るのか」という随筆で、問いを「山のどういうところが好きなのか」と言い換え、「山には偉大さのあるのを見のがしてはならない」と語り、その偉大さについて論じた。
「そこに山があるから」という名台詞を残したのは、1924年、エベレストの初登頂を試みて戻らなかった英国隊の登山家ジョージ・マロリーだ。2度のエベレスト登頂に失敗した後、23年1月から4月にかけて米国で講演し、「なぜエベレストに登るのか」という、繰り返される質問に嫌気が差して「そこにそれがあるから」と投げやりに答えた。
ところで『そして謎は残った伝説の登山家マロリー発見記』(ヨッヘン・ヘムレブ他著、文藝春秋)は、1999年、75年ぶりにマロリーの遺体を発見した米国の捜索隊がつづった手記だが、その間の事情を解説している。この言葉にはマロリーらしさはなく、ニューヨークのガサツな記者への与太話という感じがあり、「マロリーは知識人でロマンチストでもあったから、こういった切り捨てるような言い方はしない」と。
そして別の機会に、同じ質問に答えたという言葉を紹介する。「ただ単に、達成衝動を満足させたいだけであり、この先に何があるか目で確かめたいという、抑えきれない欲望が、人の心には脈打っている」と。
マロリーは1886年、英国チェシャーのモバリで、牧師の家系に生まれた。幼少の頃から、木でも、教会の屋根でも、海岸の崖でも、登れるものは何でも登って遊び、13歳の時、ウィンチェスター・カレッジに入ると、教師の手ほどきで登山を始めた。その後、ケンブリッジ大学モードリン・カレッジに進み、卒業後、チャーターハウスの教師に。若い頃から力量と優美さを供えたクライマーとして知られていた。
信仰のあつい家系で、マロリーは大学生時代、神の存在への確信を語り、聖職に就くことも考えていた。そしてキリスト教の信仰は登山という「異教」の信仰に代わる。
ヨーロッパ・アルプスと英国の岩山で訓練し、論文「芸術家である登山家」の中で、登山体験を「素晴らしい交響曲を聴くようだ」と感動を芸術に例えて表現する一方、「戦わずには、理解は得られない」と、困難を克服する経験の重要性を語った。
米国の捜索隊はマロリーの遺体発見に成功したが、もう一つの目的は、頂上に向かったマロリーとアーヴィンが、登頂に成功したか否かを検証してみることにあった。そして登頂の可能性を否定していない。
装備や衣類や知識は貧弱で不十分だったが、恐ろしい状況をものともせず、驚くべき技術とスピードで登って行った。彼らは打たれ強く、有能で、頑強な登山家だった。そして著者は「二人は登頂したか?」という問いに、もう一つ「それが貴いことか?」を重ねる。
「私たちの畏敬が当然なのは」と理由を示す。「二人が、与えられた諸条件のなかで、あれだけのことを成し遂げたことであり、二人の驚くべき体力と度胸、おのれの希望に対する不屈の精神なのである」と。
(増子耕一)