『平家物語』が伝える活躍 「坂東武者」平山季重の居館

平山城址公園駅の駅前広場。左に平山図書館が見える

平山城址公園駅前広場は霊地

出土した中国の白磁と青磁

東京の西郊にある多摩丘陵を散策していると、遠く、鎌倉時代の武蔵武士たちの事績に出合うことが多い。先日、京王線の平山城址公園駅で下車した。

駅を出ると駅前広場で、タクシーや循環バスの停車場がある。だが単なる広場ではなかった。片隅に「季重公霊地碑」が建っている。

ここは「坂東武者」の一人平山季重(すえしげ)の居館があった場所と伝えられている。明治6(1873)年までは、季重の開基と伝えられる曹洞宗太平山大福寺が存在していた。だが廃仏毀釈(きしゃく)で破壊され、大福寺にあった「木造平山季重坐像」や「木造地蔵菩薩坐像及び千躰地蔵」は、平山城址公園の麓にある大沢山宗印寺に移された。

平山季重の墓地から見た宗印寺の境内

平山季重は船木田平山郷(現・日野市平山)を本領として、上皇や法皇を警護する武士だったという。それで「平山武者所」と呼ばれた。源頼朝の父、義朝の代から源氏に仕えて、保元の乱(1156年)や平治の乱(1159年)に従軍した。

源平合戦での活躍は目覚ましく、『平家物語』や『吾妻鑑』には、頼朝が派遣した源義経らの追討軍に加わって、寿永3(1184)年正月、季重が宇治川で、木曽義仲軍と戦った場面が描かれている。勇敢で源氏方武士の「豪座随一」と称された。

また平家追討の一ノ谷の合戦でも、季重は、義経の率いる搦(から)め手軍にいて熊谷直実(くまがいなおざね)と先陣を競い、平氏と激しく戦ったことが描かれている。この活躍によって、季重は「鎌倉殿の御家人」の武者として語り継がれることになる。

源頼朝が征夷大将軍に任じられた建久3(1192)年には、3代将軍となる頼朝の子、実朝が誕生した。その出産に伴う儀式、魔物を払うために弓弦を鳴らす「鳴弦(めいげん)の儀」で、その役を上野光範と共に果たした。

彼の活躍ぶりは江戸時代に歌舞伎の演目となり、「宇治川大合戦図」はじめ錦絵にも描かれて人気を博した。

同じ日野市にある高幡金剛寺(高幡不動尊)には、季重が奉納したという太刀が「武者所平山左衛門尉季重太刀一腰」の銘で、寺宝として伝えられている。

この駅前広場に隣接して平山図書館があり、図書室には平山季重コーナーもあって、関係図書や資料が閲覧できる。そこに令和4年秋に日野市郷土資料館で開かれた企画展「鎌倉殿の平山季重」の展示図録があった。

そこには2007年、旧図書館の解体工事に伴って行われた埋蔵文化財確認調査の成果も紹介されていた。中世、近世、近代の遺構と遺物が発見され、その中には12世紀後半から13世紀初頭の、中国から輸入された青磁や白磁があった。さらにこの周辺には「出口」「小出口」「大出口」といった居館に由来する地名や屋号も残されているという。つまり、この場所には鎌倉時代、相応の地位と財力を持った人物の存在が推定され、季重との関連が注目された。

この町には新しい住宅も多いが、北に浅川が流れ、南に丘陵があって、里山の雰囲気を残している。こののどかな雰囲気は武蔵武士たちの暮らしを包んでいたものなのだろう。

(増子耕一、写真も)

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