名言「そこに山があるから」の登山家

世界最高峰のエベレスト(8848㍍)が、英国隊によって初登頂されて70周年。これを記念する式典が今年5月、麓の村で開催された。初登頂を巡っては謎が残されている。1924年英国のジョージ・マロリー(1886~1924年)とアンドリュー・アーヴィンが北東稜(りょう)から登り、頂上にアタックし、戻らなかった。彼らは登頂していたかもしれない、というのだ。
1999年、マロリーの遺体が発見され、遺品も回収されたが、登頂を巡る謎は謎のまま。「そこに山があるから」と名言を残して世を去った登山家だ。
名ガイド、ガストン・レビュファ(1921~85年)の『太陽を迎えに』(新潮社)に、マロリーについての言及がある。登山を始めた頃からマロリーの思考に心打たれ、自然と人間の関わりの本質について、学んできたという。
マロリーの友人ダヴィッド・パイによる伝記『マロリー追想』(杉田博訳、日本山書の会)からは、まるでマロリーが、レビュファの師だったような思想的関連性を見いだすことができる。
2人に共通しているのは、冒険と危険とを峻別(しゅんべつ)している点にある。技術、耐久力、知識、経験によって可能性を開くべく挑戦をすること、それが冒険だが、事故を起こす危険領域には組み込まないという鉄則がそれだ。
もう一つは、登山の本質は、芸術の本質と差がないと考えていたことだ。動機が、感動を求めるという点で同じだからだ。
マロリーは「芸術家である登山家」という論文で「登山家は、どこに行って、何を、どう登ったか、それは発表するが―どうして、山について考えるところのものを明確にしないのか」と記した。レビュファはそれをエッセーで実践する。2人はキリスト教徒で、自然界に神の創造の業を感じ取っていたからだ。
エベレストはマロリーにとって何だったのか。遭難したのは3度目の遠征で、2度目の遠征では雪崩で7人のポーターを失っていた。
その失敗から「この冒険は理にかなった登山限界を越え、強行作戦になりやしないか」とマロリーは疑問に思っていた、とパイは記す。マロリーはスポーツというより「戦争だ」と言い、感情は複雑だった。
彼が遭難死する3度目の挑戦は、死を目前にした恐るべきドラマとなる。
(増子耕一)






