特別編集委員 藤橋 進
安倍晋三元首相の暗殺事件以来、安倍氏を不当に貶(おとし)めようという言論が後を絶たない。それほど安倍氏のレガシーが大きいことを示しているとも言えるが、それが歴史を歪曲(わいきょく)するものである場合は、黙っているわけにはいかない。
現代史研究家で昭和史に関する著書も多数ある保阪正康氏が『週刊現代』7月15・22日号に寄稿した「岸信介と安倍晋三 戦後最大の『謎』 『安倍家』はなぜ天皇に嫌われたのか」という、一文を寄稿した。
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保阪氏の論文は、簡単に言うと「昭和天皇は岸を嫌っていた」というものである。その根拠として挙げているのは、昭和31年、石橋湛山首相(当時)が組閣名簿を昭和天皇にお見せした際、昭和天皇が「どうして岸を外務大臣にしたのか、彼は先般の戦争に於いて責任がある」と述べられたという話だ。日米安保改定問題で騒然とする中、石橋元首相が昭和35年4月20日付で岸信介首相(当時)に宛てた私信に書かれてあるという。
いずれにせよ、保阪氏はこれを根拠に「戦時下の岸への天皇の不信感は、歴史の流れに則った怒りであり、その感情は戦後も一貫して継続していたと言うべきであろう」と結論づけている。
しかし昭和天皇は、本紙と朝日新聞が2019年にスクープした直筆の御製の草稿で、昭和62年岸元首相が死去した際、その死を悼む御製三首を遺(のこ)されている。
「國の為務めたる君(は)秋またで世をさりにけりいふべ(ぐれ)さびしく」
「その上にきみのいひたることばこそおもひふかけれのこしてきえしは」
「その上に深き思ひをこめていひしことばのこしてきみにきえにけり(さりゆきぬ)」
故人への陛下の思いがしみじみ伝わってくる御製だが、注目すべきは、そこで詠まれた岸氏の「ことば」について、欄外に「言葉は聲なき聲のことなり」と記されていることだ。これは、日米安保改定をめぐる騒動でデモ隊が国会を取り巻く中、岸首相がデモの参加者は限られていると指摘し、「私は“声なき声”に耳を傾けなければならないと思う」と語ったことを指す。昭和天皇は岸元首相の「深き思ひ」を理解され、同情を寄せられていたことが分かる。
天皇にとって歌は決して私的なものでなく、公的な性格を持つものだが、個人の心情を元にしていることに変わりはない。岸元首相に不信感や嫌悪が「戦後も一貫して継続していた」なら、このような歌をお詠みになるだろうか。
保阪論文は昭和天皇の岸元首相への思い、為政者としての評価を歪(ゆが)めるだけにとどまらない。断固信念を貫いた祖父の政治姿勢を手本とする安倍元首相を「安保条約の問題点や議会運営の権力的なありようにはまったく目を向けていない。つまり論理が一面的なのである」と上から目線で批判する。
安保改定が日本の安全を保障し国際共産主義の脅威からいかに守ってきたかは改めて論じるまでもない。国際政治の大局の中での判断が政治家の最大の評価の基準であることを考えるなら、「論理が一面的」なのは保阪氏の方である。
以上述べたこと以上に保阪論文で看過できないのは、安倍元首相を貶めるために、天皇の権威を利用しようという意図が透けて見えることである。「アベガー」でもしないことを現代史研究家がすべきではない。