トイレ制限「不当」判決の深層 最高裁判事全員が「補足意見」「一律の解決策」はない 「性自認」尊重のリベラル派

戸籍上は男性だが「女性」を自認する経済産業省の職員に対して、同省が行った女性トイレ使用制限について、最高裁は「不当」判決を下した。性同一性障害の診断を受けた職員についての職場限定の事案だが、判決がトランスジェンダー(身体男性)の女性スペース利用に道を開くのではないかとの不安の声も出ている。司法は今後、LGBT(性的少数者)権利重視に傾くのか。裁判官の補足意見から探る。(森田清策)
トイレ制限に「不当」判決を下した最高裁(東京都千代田区)

「本件のような事例で、同じトイレを使用する他の職員への説明やその理解のないまま自由にトイレの使用を許容すべきかというと、現状でそれを無条件に受け入れるというコンセンサスが社会にあるとは言えないであろう」

複雑な事案を審理した最高裁第三小法廷の今崎幸彦裁判長(裁判官出身)は補足意見でこう述べた。また「(この種の課題は)一律の解決策になじむものではない」として、当事者の要望、他の職員の意見など多角的な観点から「最適な解決策を探っていく以外にない」と強調した。

だが、判決後、ツイッターなどでは、省内施設限定での判断だったとしても「拡大解釈が起きそう。お手洗いに行くだけなのに子供からますます目が離せなくなる」など、不安の声が広がった。原告の個別事情を理解しなければ、身体男性による女性トイレ使用を認めた判決に疑問が出るのは無理からぬものがある。

原告の職員(50代)は、幼少時から「男性」であることに違和感を抱いていた。1998年頃から女性ホルモンの投与を受け翌年には性同一性障害の診断を受け、2008年頃から女性として暮らすようになった。

これらの事情から、経産省は10年、原告と同じ部署の同僚を対象に説明会を開いたところ、原告の女性トイレ使用に対して、他の女性職員数人が「違和感」を抱いているように見えたことなどから、勤務フロアから上下2階以上離れた女性用トイレの使用しか認めなかった。原告は人事院に制限をなくすよう求めたが、認められず15年に提訴。一審は「不当」、二審は他の女性職員の不安も考慮しており「妥当」。そして最高裁で裁判官5人全員の一致の意見で、「不当」が確定した。

判決文からこの判断に至った要因を見ると、①職場で女性として認知されていた②性同一性障害の診断がある③健康上の理由で性別適合手術を受けていない④性衝動に基づく性暴力の可能性が低いとの診断がある⑤女性トイレ使用でトラブルは発生していない――などが挙げられる。

興味深いのは、裁判官5人の補足意見の違いだ。長嶺安政裁判官(行政官出身)は、「(トイレ制限は)激変緩和措置」と見ることができ、原告が当初、異を唱えなかったことを併せて考慮すれば、「(10年時点では)一定の合理性があった」とした。しかし経産省には「必要に応じて見直すべき責務があった」と述べた。

確かに、経産省の対応のまずさもうかがえる。一つは、女性職員の違和感を印象で判断したことだ。また、約4年間、女性トイレ使用でトラブルが起きなかったのだから、制限を解除するという判断もあったはず。

さらには、女性職員の不安が具体的に確認されていれば、最高裁の判断が変わった可能性もある。ただ、説明会で女性職員が不安を訴えれば「差別」と受け取られかねず率直な意見表明をためらったとも考えられ、同省は難しい対応を迫られたと推測できる。

当事者の性自認を尊重すべきとの補足意見を展開した裁判官もいる。宇賀克也裁判官(学者出身)だ。「性別適合手術は、身体への侵襲が避けられず、生命及び健康への危険を伴うものであり、経済的負担も大きく、また、体質等により受けることができない者もいるので、これを受けていない場合であっても、可能な限り、本人の性自認を尊重する対応をとるべきと言える」

補足意見には、裁判官の価値観が表れる。家族や結婚を巡る判断についてはその傾向が強い。夫婦別姓を認めない民法と戸籍法の規定は違憲として、事実婚夫婦が起こした訴訟で、最高裁大法廷は21年6月、規定を「合憲」とする判断を示した。

15人の裁判官中11人の多数意見だったが、宇賀裁判官は反対意見の1人だった。夫婦同姓制は「当事者の意思決定を抑圧し、婚姻の自由、平等な意思決定を妨げる不当な国家介入」に当たるというのがその理由。宇賀裁判官のリベラルな価値観がうかがえる。

今回の事案は、職場における身体男性の性同一障害職員と他の女性職員の利害調整が争点となったが、「同性婚」否定について「違憲」「違憲状態」判決が相次ぐなど最近、性的少数者の権利重視の司法判断が出ている。理念優先でなく実情に即し堅実な補足意見を述べた今崎裁判長は、最後に次のように付け加えた。

「本判決はトイレを含め、不特定または多数の人々の使用が想定されている公共施設の使用の在り方に触れるものではない。この問題は、機会を改めて論議されるべきである」

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