「傾城阿波の鳴門」定期公演
神社には日本最多の農村舞台

太夫、三味線、人形遣いの三業が一体となった人形浄瑠璃といえば、大阪に本拠地を置く文楽が有名だが、もともとは全国各地で演じられていた。中でも徳島県は兵庫県淡路島と並んで今も人形浄瑠璃が盛んな地域。徳島市の県立阿波十郎兵衛屋敷では、毎日、人形浄瑠璃が上演されている。
阿波十郎兵衛屋敷は、江戸時代、藩の政策上の犠牲となって処刑された庄屋板東十郎兵衛の屋敷跡である。近松半二ら5人が、この事件で有名となった十郎兵衛の名を借りて、お家騒動の物語「傾城(けいせい)阿波の鳴門」を合作した。阿波の人物が登場し、親子の情愛を描いた物語であることから、徳島でも最も多く演じられる演目となった。
十郎兵衛屋敷で毎日午前と午後、定期上演されるのは「傾城阿波の鳴門」の「巡礼歌の段」。盗まれた主君の刀を探索するため十郎兵衛と妻のお弓が名前を変え盗賊に身をやつし、大坂の玉造に住んでいる所へ、父母を探しに巡礼となった娘お鶴が訪ねてくる。「父様の名は~」と語るのを聞き、お弓はわが子と分かるが、名乗ることができず、涙をのんで別れる――。
土日・祝日とお盆は太夫・三味線の生演奏だが、平日はCD音源となる。訪ねた日はちょうど祝日で、生で聞くことができた。人形遣いは文楽のような繊細な表現ではなく、大きな振りで、これを「阿波の手」と呼ぶらしい。
人形の大きさも、文楽人形より一回りか二回りほど大きい。これは、阿波人形浄瑠璃が、神社の境内などに造られた野外の「農村舞台」で演じられるため、屋内で演じられる文楽よりも、大振りに作る必要があるためだ。約40分の上演だったが、親子の情はよく伝わってきた。
上演を終えて、係の人が、「日本人の心の根底にあるのは、この親子の情愛だと思います。人形浄瑠璃でこれを伝えていきたい」と語っていた。
展示室には、阿波木偶(でく)や人形の頭(かしら)などの資料が展示されている。地元のボランティアの人が、なぜ徳島で人形浄瑠璃が盛んになったかなど説明してくれた。
人形浄瑠璃が淡路島で誕生して間もないころ、そこを所領にした徳島藩主・蜂須賀氏が、淡路の人形座に全国を巡業する許可を与える一方、藍の生産で莫大(ばくだい)な富を得た商人が、淡路の人形座を頻繁に招聘(しょうへい)したという。
近隣の農業地帯から藍栽培で雇われていた人々がそれを見て地元に持ち帰り演じるようになった。その伝統が今も続き、徳島県には神社の境内に今も約80棟の野外「農村舞台」が残り、秋祭りなどで人形浄瑠璃が上演される。屋内と違って農村舞台での上演はまた独特の雰囲気があるのだろう。一度見てみたいものだ。
徳島県では人形を作る人形師が多く活躍し、文楽で使われる人形の頭もほとんど徳島で作られているという。徳島の人形浄瑠璃は全国各地の人形芝居を支えているのである。
(特別編集委員・藤橋 進)