原稿には252首「昭和天皇の未発表御製」岸信介元首相を悼む3首や平和を願う御心

国民の幸せを祈る御心、歌会始の未発表御製も

昭和天皇直筆草稿、歌会始の未発表御製も(2019.1.11付)

乃木大将の思い出など

昭和天皇が歌会始のために作られた御製の直筆草稿(部分、コピー)。(右)が昭和62年のお題「木」、(左)は同63年のお題「車」の草稿
昭和天皇が歌会始のために作られた御製の直筆草稿(部分、コピー)。(右)が昭和62年のお題「木」、(左)は同63年のお題「車」の草稿

世界日報社が調査を進めている昭和天皇の御製(和歌)の直筆草稿の中に、歌会始のための草稿が含まれ、大半が未発表の歌であることが分かった。学習院院長を務めた乃木希典大将の思い出を詠んだ歌もある。

草稿の中には、昭和62年の歌会始のお題「木」の題詞の後に25首が並ぶ草稿と、63年のお題「車」の後に10首が並ぶものがあった。昭和天皇の歌の相談役を務めた岡野弘彦氏によると、昭和天皇が歌会始用に作られた歌に間違いないという。

「車」の稿では、冒頭に「國榮の黒金の道伊東までふる事しのびくるまのりけり」があり、歌会始で発表された御製「国鉄の車にのりておほちちの明治のみ世をおもひみにけり」の元となったお歌とみられる。

「雨の時は馬車(うまぐるま)にて學校にかよひた(りしが)ることのぎはさとせり」があり、「説明(赤坂御殿より通ふのぎは乃木大将のこと)」の言葉が続く。学習院へ通っていた時、雨の日は、馬車で登校した廸宮(みちのみや)(昭和天皇)に、雨の日も徒歩で通うよう諭されたことを回想したお歌とみられる。

乃木希典大将
乃木希典大将

乃木希典は晩年学習院院長として、廸宮の教育に心血を注ぎ質実剛健の教育を行ったことが知られている。昭和天皇ご自身、「私の人格形成に最も影響のあったのは乃木希典学習院院長であった」と語られている。

「車」の題の最後に記されたお歌は、「人のひく車にのりて沖縄のみやこをみたり大正(の)頃」で、皇太子時代に訪問した沖縄のことを懐かしく偲(しの)んでおられる。

「熱海さし小田原よりは人のひくくるまにのりて雪の中ゆく(フルコトおもふ)」の後には「説明(熱海さしを其の上に或は思ひ深く(六字なれど)とした方がよきや)」などと書かれ、推敲(すいこう)を重ね作歌に打ち込んでおられたご様子がうかがえる。

乃木大将とその教え思い出す

乃木神社「中央乃木會」會長・東京大学名誉教授・小堀桂一郎氏の話 
「車」のお題では随分古いことをよく覚えて詠んでいらっしゃる。やはり乃木さんのことを忘れがたかったんでしょう。剛健な乃木さんの教えも思い出しておられる。乃木さんのことを詠んだ歌の前の歌は「學校に馬の車で通ひたるころ(大正)なつかしくふるきをしのぶ」である。大正になってからは馬車で通うこともあったようだが、いずれにしても、昭和天皇と乃木大将の心のつながりを示す大変興味深い御製です。

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