原稿には252首「昭和天皇の未発表御製」岸信介元首相を悼む3首や平和を願う御心

国民の幸せを祈る御心、歌会始の未発表御製も

昭和天皇の心の声を聞く 御製・直筆草稿が物語るもの(2019.1.9付)

昭和天皇の御製(和歌)の直筆の草稿とメモが発見され、世界日報社は独自調査を進めてきた。それらには昭和天皇の御心が率直に吐露された未発表の作や、皇族方、親しくされていた人々や国民への思いの滲(にじ)む歌が含まれる。一方で、それらの歌が、なぜ平成2年に宮内庁侍従職が編纂(へんさん)した御製集『おほうなばら』(読売新聞社、絶版)に収録されなかったのか。編纂者がどのような判断で撰歌を行ったのか疑問も浮かんでくる。(昭和天皇御製草稿取材班)

なぜ?御製集未収録の疑問 病気の香淳皇后気遣う歌など

宮内庁の罫紙に昭和天皇が鉛筆で記した草稿で、未発表の歌約250首が確認された。昭和60年ごろから病に臥(ふ)される63年までのものとみられる。

未発表の歌で、はっと胸を打たれるのは、御在位60年記念式典の「國民の祝ひをうけてうれしきもふりかへりみればはづかしきかな」である。昭和末の繁栄の中でも、深い内省の中にあった昭和天皇の心の奥の声を聞くようである。

皇族方では、香淳皇后のことを詠ったものが次の1首を含む4首確認できる。

「み子たちとそゞろありきの高原にきさきゆかぬ(ざる)はひとしほさびし」

体調の優れない香淳皇后への気遣いと、寂しさが伝わってくる。

意外なことに御製集『おほうなばら』には、香淳皇后のことを詠われた歌は1首しか収められていない。昭和天皇の相聞歌とも言っていい4首からは1首も収められなかった。

皇孫、秋篠宮殿下のことを詠われた「礼宮の成年式」の歌1首も目を引く。

「礼宮もをとなとなりて式あげしみなともども(に)いはふけふかな」

これも意外なことだが、『おほうなばら』には、浩宮さま(皇太子殿下)はもちろん紀宮さま(黒田清子さん)も載っているが、秋篠宮殿下のは収録されていない。しかし昭和天皇はその成年式を詠んでおられた。

宮内庁侍従職編纂の昭和天皇御製集『おほうなばら』
宮内庁侍従職編纂の昭和天皇御製集『おほうなばら』

本紙(3日付)既報のように、政治家では唯一、昭和62年、岸信介元首相の死去を悼む3首が記されていた。『おほうなばら』には、政治家を詠ったものは、吉田茂元首相の死を悼むもの、元老、西園寺公望を偲(しの)んだものだけで稀(まれ)だ。

「その上に深き思ひをこめていひしことばのこしてきみきえにけり」

欄外に「言葉とは聲なき聲なり」と書かれ、昭和35年の安保改定時の岸元首相に深い理解を示した歌である。

近しい人の死を悼む歌は、旧皇族・山階武彦の死を悼んだ「長々と病にふせし君も又あきたつあさにきえしはかなし」など2首が収められている。山階武彦については、亡くなった後も、「きえにける武彦のみめ思ひつつはるかにみやこおがみ(いのり)けり」もあり、昭和天皇の思いの深かった人物であることが想像される。追悼の歌は、学者が多い。元侍従も多いが、『おほうなばら』未収録の人も少なくない。

「皇太子・同妃・常陸宮・同妃等と散策(七月二十五日と八月十二日)」の詞書に続き「み子たちとそゞろありきの高原にきさきゆかぬはひとしほさびし」(左端)の御製が書かれた直筆草稿
「皇太子・同妃・常陸宮・同妃等と散策(七月二十五日と八月十二日)」の詞書に続き「み子たちとそゞろありきの高原にきさきゆかぬはひとしほさびし」(左端)の御製が書かれた直筆草稿

また未発表歌には、警備に携わる治安関係者のことを思う「此の度に世のやすらきをもる人のいたつきおもふわさにはけみて(つとめはけみて)」のような、関係者が感激するに違いない御製もある。

また、「大えどの空●れ渡りうるはしくはなびあがれりいろとりどりに」など隅田川の花火大会を昭和天皇がテレビで視て楽しんでおられたことを示す歌が4首ある。「やすらけし夜空みごとにわが國とフランスしきのはなびあがれり」などは、花火を観(み)ても天皇はやはり、見方が違うと思われる歌もある。しかし、大相撲観戦の歌は載せて、なぜ隅田川花火の歌が4首もあるのに収録しなかったのか、素朴な疑問も沸いてくる。

これら昭和天皇が思いを込めて作られた御製が『おほうなばら』に収録されなかったのは、実質的な編纂者である徳川義寛侍従長の判断によるものとみられる。

徳川侍従長は、侍従長としてさまざまに配慮し、また自身が考えるあるべき天皇像に従ったとみられる。香淳皇后のことを詠まれた歌が載らなかったのは、何より当時存命の体調のよくない香淳皇后のお立場を気遣ってのものとも思われる。そのほかについての判断、配慮については今後分析すればよい。ただ、それが生前の昭和天皇の御意向をどれだけ汲(く)んだかは疑問が残る。

昭和天皇の御生涯を凝縮するといっていい御製「身はいかになるともいくさとどめけりだたふれゆく民をおもひて」の形を定めるために、晩年の昭和天皇は、8種類もの案を考え徳川侍従長を通し、歌の相談役・岡野弘彦氏に諮った。岡野氏が「これがいちばんよろしゅうございます」と言って、その形に決まり、昭和天皇は安心された。しかし結局、徳川侍従長は、この御製を『おほうなばら』に収録しなかった。

岡野氏によると、昭和天皇は生涯少なくとも1万首近い歌を詠まれた。生涯10万首以上詠んだといわれる明治天皇の御製集は数を増やしながら数度にわたり刊行されている。崩御から30年目に明らかとなった御製の数々は、今後、より完全な昭和天皇の御製集の編纂の必要性を示している。将来は、かつて歌の相談役であった釈迢空がいう「宮廷ぶり」とともに、平和を愛し、家族を愛し国民を愛した人間・昭和天皇の御声を聞くことのできる御製集が編まれることを期待したい。

●=晴の月を円に

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