原稿には252首「昭和天皇の未発表御製」岸信介元首相を悼む3首や平和を願う御心

国民の幸せを祈る御心、歌会始の未発表御製も

国民の幸祈る昭和天皇、直筆メモに未発表御製や御心境(2019.1.4付)

昭和天皇の御製(和歌)の直筆草稿と共に発見された直筆メモ16枚を世界日報社は写真撮りし調査を進めてきた。これらメモは昭和天皇が、地方の訪問先でも熱心に作歌に勤しんでおられたことを示すとともに、公にされていない歌、発見された草稿にもない歌もある。国民の幸を祈る御心など、推敲(すいこう)以前の昭和天皇の心境が率直に表れている。

昭和天皇が旅先で書かれた直筆メモの一部。昭和58年全国植樹祭で石川県津幡町を訪れた時のことから始まり、同県羽咋市の気多大社の訪問、能登島大橋のことが記されたメモ(右)、中央のメモでは能登島のことが記され、行を替えずに埼玉県の訪問がメモされている。左のメモには大雪の日に二・二六事件を思い出されたことが記されている

昭和天皇の御製(和歌)の直筆草稿と共に発見された直筆メモ16枚を世界日報社は写真撮りし調査を進めてきた。これらメモは昭和天皇が、地方の訪問先でも熱心に作歌に勤しんでおられたことを示すとともに、公にされていない歌、発見された草稿にもない歌もある。国民の幸を祈る御心など、推敲(すいこう)以前の昭和天皇の心境が率直に表れている。

これらのメモは、宮内庁の罫紙に書かれた直筆草稿を保管していた人が同時に保管していたもので、計16枚あり、縦9~15㌢、横7~10㌢ほどの薄手の紙に太めの鉛筆で書かれている。中には消しゴムで消した跡や紙を継ぎはぎしたものもある。

「つばたのもりははつなつにみどりのいろにつつまれにけり」から昭和58年全国植樹祭で石川県の津幡町を訪問された時のものと分かるメモには、「をのいらぬやしろのもりをたづねればからたちばなのおふめづらしき」とある。

同県羽咋市の能登国一の宮、気多神社を訪ねた時のメモで、公表された御製「斧入らぬみやしろの森めづらかにからたちばなの生ふるを見たり」の元となったものであることが分かる。

続いて「いらずのもりののこりしはかみのちからとおもひてうれし」とあり、神さびた古社を訪ねての敬神の思いが歌のような言葉で記されている。

さらに続いて「のと島にはじめてわたるオホはしをはじめてわたる」とあるのは、同県七尾市の能登島大橋を渡り能登島を訪問された時のメモ。それに続くもう一枚には、「のとじまのオホハシ(を)うひにわたりけりたみのよろこびいかにあるらん」の歌が記されている。前年、能登島大橋が完成したことへの地元の人々の喜びに思いを致されている。未公表の歌。

元宮内庁関係者によると昭和天皇は御公務で地方へ出掛けらたときも、背広のポケットにメモ帳と鉛筆を入れて、熱心にメモを取っておられた。筆記に使う鉛筆は短くなってもキャップを継ぎ足して使っておられたという。メモには、千葉県南房総、加須(埼玉県)などの地名が見られ、いずれもその方面を訪ねられた時のものとみられる。

また大雪の日、雪をご覧になって「二二六事けんを思ふ」というものもある。同じ用紙には続いて、「紅梅がさいていたらば、若草をよむこと六十年祝と世界の大勢をよむこと氣候のこと」と作歌テーマようなメモも記されている。

御製ならでは民を思う御言葉

小堀桂一郎東京大学名誉教授の話 
石川県を御訪問された時のメモは、津幡から能登半島を北上してゆく時のメモで能登島の歌のメモがあり、その後すぐに行も分かたずに、「さきたまのふるきむかしをしのびつつおホやけのもりのひろばに人々のあそぶすがたのみゆるはうれし」とあるのは、加須の地名もあり埼玉県でのことだろう。石川から埼玉へ日にちも空いていると思われるが、ページを改めることもなく次から次とメモしてゆかれたことが非常に興味深い。そして「たみのよころびきくぞうれしき」「たみのよろこびいかにあるらん」というのは、御製、天皇のお歌でなければ出てこない。また地方の訪れる先々の風物を楽しんでおられたこともうかがわれる。

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