原稿には252首「昭和天皇の未発表御製」岸信介元首相を悼む3首や平和を願う御心

国民の幸せを祈る御心、歌会始の未発表御製も

昭和天皇の御製草稿発見 岸元首相悼む3首など(2019.1.3付)

昭和天皇の御製(和歌)の草稿の直筆原稿とメモがこのほど見つかった。宮内庁の罫紙に書かれた原稿は、昭和天皇に近い人が保管していた物で、世界日報社が写真撮りし、分析調査を進めていた。昭和天皇の和歌の相談役を務めていた岡野弘彦氏も、「昭和天皇の真筆に間違いない」としている。原稿には252首が書かれており、昭和62年8月岸信介元首相の死去に際し、元首相を悼む3首や大島で災害救助に当たる人々を詠んだ歌など未発表の御製も含まれ、昭和史の資料としても貴重な価値を持つものだ。

昭和天皇が岸信介元首相の死に際して詠まれた歌は、「國の為務めたる君(は)秋またで世をさりにけりいふべ(ぐれ)さびしく」「その上にきみのいひたることばこそおもひふかけれのこしてきえしは」「その上に深き思ひをこめていひしことばのこしてきみきえにけり(さりゆきぬ)」の3首。

昭和天皇
昭和天皇

この歌の上には「言葉は聲なき聲のことなり」と書かれており、昭和35年日米安保条約の改定に反対するデモ隊が国会を包囲した時、岸首相が野球場や映画館は満員で銀座通りはいつもと変わりないことを挙げて、デモ隊の安保反対の叫びより「私には声なき声が聞こえる」と語ったことを指すものとみられる。

公表されている昭和天皇の御製には、日本の政治家の事を詠ったものはなく、同草稿にも岸元首相以外見当たらない。その中で岸元首相の死を悼む歌が3首もあり、その中で「おもひふかけれ」と詠んだ昭和天皇は、安保改定時の岸首相の孤独な戦いに深い同情を寄せていたことがうかがわれる。

このほか、昭和62年東京都の大島の噴火では、「災にみを顧みず諸人をたすけしいさをよろこびにけり」と詠み、同年有明海を訪れた時詠まれた歌は、「むつごろを保つ為にも韓國とむつみかはしてなすべきならん」と絶滅が危惧されるムツゴロウの保護と、韓国との友好を願う心を詠われている。いずれも未公表。

岸信介元首相
岸信介元首相

また、歌の相談役だった岡野弘彦氏のテレビの講座をご覧になって詠まれたとの詞書(ことばがき)のある「数多く和歌によまれし美しきからつのうらはおもひでふかし」などもある。

昭和天皇の和歌の元相談役・岡野弘彦氏の話 
昭和天皇の筆跡を知る私が見ても草稿は昭和天皇の真筆に間違いない。陛下の御製の草稿は月30首ほど、徳川義寛侍従長が私の所に持ってこられたが、昭和天皇は最晩年病床に伏されても、ベッドの傍にメモ用紙を置いて歌をお作りになっていた。その御そばで歌のお話をしたこともある。私のNHK講座をご覧になって詠まれた御製は、平安時代多くの歌人が詠んだ唐津の海を陛下が懐かしく思い出された歌。

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