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敗戦国の精神風景と鎮魂 平山周吉著『小津安二郎』を読む

『麦秋』など戦後の傑作の謎

山中貞雄への鎮魂から解明

平山周吉著『小津安二郎』(新潮社)。表紙写真、上は小津安二郎(右)と山中貞雄、下は『東京物語』の原節子

今年生誕120年、没後60年を迎える日本映画の巨匠、小津安二郎。平山周吉氏の新著『小津安二郎』(新潮社)は、この年を記念するにふさわしい重厚な評伝だ。

世界的評価の高い小津については毎年のように研究書や評論、エッセーの類が出版されているが、平山氏の新著は、それら内外の小津研究の蓄積を土台に、『東京物語』など戦後の小津作品に独自の解釈を提示するものとなっている。

著者は、作品そのものや脚本の読み込みはもちろん、それらが作られた同時代の映画評や新聞や雑誌のインタビューなどありとあらゆる資料に当たっている。

その徹底した博捜(はくそう)によって、作品成立の背景が浮かび上がってくるのである。ジャーナリスティックではあるが、さらにそこから批評的な考察を深めるというのが著者の持ち味だ。

この本の柱となる着眼点は、中国で戦病死した監督・山中貞雄への鎮魂というテーマである。山中は小津がその才能を高く評価していた天才映画監督だ。山中への鎮魂は、それがはっきり提示された『麦秋』にとどまらず、後期の『小早川家の秋』など多くの作品にみられるというのが著者の見解である。

帯で「巨匠の傑作群の謎を解く決定版評伝!」とうたわれている。『晩春』で笠智衆(りゅうちしゅう)、原節子の父娘が泊まった京都の旅館の壺(つぼ)のショット、『麦秋』の不思議なキャメラ移動などが、小津作品でよく論じられる「謎」だが、その謎の多くを、亡くなった山中貞雄の存在から解明しているのである。

そういう状況証拠を積み重ねながら、最後の章<「紀子」三部作と「春子」三部作>で著者は、小津の戦後作品について、こう言い切る。「いちばん大事なテーマは『哀れな敗戦国』の『精神風景』であり、その中に埋没させられた死者――山中貞雄や小津の戦友たち――への鎮魂の譜であった」

『麦秋』や『東京物語』に戦争の影を感じ取る人々は多い。戦死した息子の事を忘れられない東山千栄子や戦争未亡人、原節子など、この問題を著者はとことん掘り下げ、このような作品解釈を提示したのである。

後半では、小津が尊敬してやまない「小説の神様」志賀直哉や里見弴(さとみとん)など文学者との交流、そこから受けた影響について論じている。作品の後味の良さ、品格という点で小津が志賀的なものを目指し、劇術とせりふで里見から多くのものを得ていたという。これまで十分論じられてこなかったが、小津作品の魅力を解明する重要な視点といえよう。

著者の多角的で精緻な分析で、小津作品の背景や裏側が明らかになり、小津作品への見方が変わる人も多いだろう。より深い鑑賞への手引きとなることは間違いない。

小津安二郎は、世界で最も評価される日本の映画監督だ。

その理由は、キャメラのローポジションなど独特の映画技法と共に、「家族」や人間の「生と死」という人類普遍のテーマを扱っていることにあることは間違いない。しかし欧米、アジアの少なくない小津研究者にとっては、本書で平山氏が指摘した、戦後日本の精神風景や戦友や戦死者への鎮魂と言うテーマは、十分意識されてきたとはいえない。

世界的な小津研究の深まりのために、本書は海外の研究者にぜひとも読んでほしいし、できれば英訳が望まれる本である。

(特別編集委員・藤橋進)

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