共産、“牙城”の京都で苦戦 統一地方選 5県で議席ゼロに

共産党に「党首公選制」 導入を求め記者会見する 松竹伸幸氏(当時党員、 後に除名)=1月19日午後、東京都千代田区

統一地方選の前半戦が9日投開票され、関西圏を中心に維新の会が躍進する一方で、1970年代に京都と大阪でいわゆる革新府政の与党として権勢を振るった共産党は議席を大きく減らした。また、福岡県など5県で議席を失うなど、凋落(ちょうらく)傾向に歯止めがかからなかった。

共産党が選挙戦で訴えたのは「岸田政権の大軍拡に反対し、憲法、暮らしを守る」といった内容だ。昨年の参院選ではロシアのウクライナ軍事侵攻の事態に各党とも防衛力強化を訴えたが、共産党はこれに反対。統一地方選でも公約のトップに持ってきている。

だが、外交・安全保障は国政で大きな焦点になるものの、地方選では上滑りの印象は否めない。また、自民党の旧統一教会(世界平和統一家庭連合)との関係を批判したマスコミを背景に、「癒着を断ち切る審判を下そう」(機関紙「しんぶん赤旗」など)とキャンペーンを展開し、選挙カーでも連呼したが、選挙結果は大幅な後退だった。

まず、41道府県議選で前回の99議席から75議席に後退、政令市議選でも115議席から93議席への減退だった。特に京都府議会議員選挙(定数60)で共産は、京都市内のベテラン現職らが落選し、改選前から3議席減の9議席にとどまった。府議会で10議席を下回るのは、1967年以来、56年ぶり。

京都市議会議員選挙(定数67)でも、共産の“牙城”とされる左京区で6選を目指す現職が、北区では市議団長を務めるベテランが共に落選するなどし、現有18議席から14議席へ後退。

大阪では府議選・市議選合わせて30人を擁立したが、市議選で2議席、府議選で1議席を失い、両議会での議席はわずか3(府議1、市議2)に。府議選では定数が88から79へ削減された影響もあった。1970年代には黒田了一知事を支える与党として府議会で19議席を確保した時期もあった。

共産党大阪府常任委は総括で「反共攻撃と反共シフトがしかれ、維新が府議会、大阪市議会ともに過半数を占めるもとで、住民の願いを届ける宝の議席を確保したことは大きな意味を持ちます」と強気を装う一方で、「力不足」とおわびした。

このほか、福岡県議選では立候補した共産候補6人が全員落選。改選前勢力の2議席を維持できなかった。静岡、熊本、新潟、福井でも改選前の1議席を確保できず、議席ゼロとなった。

共産苦戦の背景には、「共産党も党首公選をすべき」だと志位和夫委員長を公然と批判した松竹伸幸氏ら党員2人を除名した影響が指摘されている。党員除名を巡っては、SNSなどで「相変わらず非民主的だ」「旧態依然の党体質」との声が上がった。特筆されるのは松竹氏が日米安保条約を堅持し自衛隊を合憲とするよう提案したことだ。このような現実論も「除名」となる共産党の主張は、令和の有権者に響かなかったようだ。(統一地方選取材班)

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