四国八十八ヵ所めぐり コロナ禍 減少から回復へ

香川県さぬき市の結願寺・大窪寺

お接待の様子

遍路を支える「お接待」

情報交換・住民交流「サロン」

コロナ禍で減少していた四国八十八カ所めぐりのお遍路さんが、少しずつ回復している。江戸時代に盛んになった庶民の四国遍路を支えてきたのが、沿道住民による「お接待」。お遍路さんに飲食物や金銭、宿を提供し、不幸にして行き倒れになると、遺体を供養し、連れの子供などを出身地に送り返したりしている。そのお接待はどのようにして始まったのだろう。

八十八カ寺の最後、結願(けちがん)の寺が香川県さぬき市にある真言宗大窪寺。八十七番札所の長尾寺から大窪寺に至る道の途中、長尾町前山にへんろ資料館「おへんろ交流サロン」がある。お遍路さんたちの情報交換や地域住民との交流の場として設けられ、へんろ資料展示室には、江戸時代の紀行本や古地図、お接待のお礼にお遍路さんが配ったお札を入れた俵など、四国遍路の歴史を感じさせる貴重な資料が多く展示されている。ここを訪れたお遍路さんは、湯茶や菓子のお接待を受け、八十八カ所の大きなジオラマを見ながらこれまでの行程を振り返り、結願への思いを募らせるという。

へんろ資料館の内部

同サロンの片桐孝浩館長は、ここで現代版のお接待を提供しながら、地域住民とお遍路さんとの交流を図り、学生や子供たちがお接待の体験を通して、歴史を経て定着してきたお接待文化を学べるようにしているという。お遍路さんたちの感想は、「暑い日に冷たい飲み物の提供もありがたいが、一番は地域の皆さんの笑顔だ」「自分1人で歩いていると思っていたが、お接待を受けて人とのつながりを感じた」など。四国遍路は自分との出会い、人との出会いの旅でもある。

古くは茶堂と呼ばれる接待の施設や善根宿という無料の宿泊施設が遍路道各所に設けられていた。お接待に提供されるのは、湯茶や菓子、牡丹餅(ぼたもち)、干し柿などの果物、赤飯、大豆飯、わらじなどに金銭も。今も、「冷たいものを」と小銭を差し出す人がいる。変わったものでは、記録に「さかやき」とあるので、今でいえば整髪をしてあげていたのである。

志度寺から長尾寺への遍路道の休憩所で休むお遍路さん

お接待の提供者は地域住民が主だが、中には小豆島や対岸の岡山、兵庫からわざわざ来る人もいた。東南アジアに広まっているテーラワーダ仏教では僧侶が毎朝喜捨に出掛け、修行に専念できるよう彼らの生活を住民が支えている。僧侶に尽くすことは仏に尽くすことであり、それが家族らへの供養になるとの信仰からだ。聖なる存在、尊敬できる人に何かを差し上げたいというのは人間に共通した感情で、それが共同体を保つ力にもなっている。

四国遍路のキーワードは「同行二人(どうぎょうににん)」で、お遍路さんがかぶる菅笠(すげがさ)にその文字が書かれている。1人で歩いていると思っていたら、いつの間にかお大師さん(空海)が一緒に歩いてくれていた、という信仰で、大師信仰と呼ばれる。

空海は高野山で亡くなったが、それは入定(にゅうじょう)という瞑想(めいそう)に入ったのであり、生き続けて、ひたすら衆生(しゅじょう)の成仏を祈り続けておられるというもの。そこから、お遍路さんへのお接待は仏につながるお大師さんへのお接待であり、親しい人への供養につながると思われたのであろう。

宗教は心の中だけのもの、とされたのは政教分離の近代になってからで、それまでの宗教は社会全体を守るものであった。神仏分離令に始まる明治の宗教政策は、迷走の果てに主に神道が社会を、仏教が個人や家庭を守るという、今日の神仏補完の形に落ち着いた。

縄文時代からの共同体の宗教と、仏教がもたらした個人救済の宗教が、歴史を経てそうなったようにも思える。

四国四県は四国遍路をユネスコの世界遺産登録を目指し、遍路道休憩所の整備など進めている。

(多田則明)

spot_img
Google Translate »