トップ国内【連載】安倍元首相 暗殺の闇 第2部 恨みと凶行の間 (1)

【連載】安倍元首相 暗殺の闇 第2部 恨みと凶行の間 (1)

空白の10年に深刻な変化

安倍晋三元首相が銃撃された事件から1カ月となり、現場付近で手を合わせる人たち =8日午後、奈良市

「母の入信から億を超える金銭の浪費、家庭崩壊、破産…この経過と共に私の10代は過ぎ去りました.その間の経験は私の一生を歪ませ続けたと言って過言ではありません」。山上徹也容疑者(42)は安倍晋三元首相襲撃の前日、ジャーナリストの米本和広氏に宛てた手紙の中で自身の人生をこう振り返っている。

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が自分と家族の人生を歪(ゆが)ませたと述べているが、それから安倍元首相銃撃までは25年近い年月の経過がある。

1980年、山上容疑者は山上家の次男として生まれる。祖父が建設会社を営み一家は比較的裕福だったが、4歳の時、父親が過労とアルコール中毒で自殺。兄は幼少期に小児がんを患い片目を失明するなど、壮絶な幼少期を過ごした。

山上容疑者が10歳を過ぎた頃、母親が旧統一教会に通うようになった。各種メディアでは、母親は山上容疑者ら兄妹の育児を放棄するような形で宗教にのめり込んでいたと報道されている。しかし、90年代後半に山上家と交流があった女性は、必ずしもそうでないと語る。

女性は母親が家を留守にしている間、代わりに子供たちの弁当を作ってほしいと頼まれ山上家に3日間通った。女性は自身の夫もアルコール中毒に悩んでいたため山上容疑者の母とも親身な関係だった。女性によると、お弁当には「デザートにフルーツを入れてほしい」などと細かな指定まであったという。「お母さんは留守の子供たちにすごく配慮していた」と当時を振り返り、いわゆる育児放棄のようなことはなかったと強調する。

しかしそこから10年以上経過し、母親と再会した時、「心身ともに疲れ果てていた様子」だったという。「家族を思う気持ちは人一倍ある人だったけれど、過酷な状況で、(実生活が)追い付かなくなってしまったのではないか」と女性は推察する。

その間、山上家ではさまざまな出来事が起こった。報道や伯父の供述によると、母親は教会に夫の死亡保険金から6000万円を献金。99年には祖父から相続した不動産を売却し約4000万円を献金した。その後、献金との直接的因果関係は不明だが2002年に自己破産している。

05年には海上自衛隊に勤務していた山上容疑者が呉市内の下宿で自殺未遂を図った。生活に困窮している兄と妹に、自身の死亡保険金を渡すためだったという。同年、教会と山上家の間で献金の返還協議を開始し、5000万円を返金することで合意が結ばれた。

この返金に関わり、山上容疑者との交流もあった奈良の教会の元幹部に当時の山上容疑者の様子を聞いた。元幹部は、2005年から月々の返金のために山上家を訪れ、その際、山上容疑者と言葉を交わすこともあった。教会に対する恨み反発が強ければ、教団側の人間と口も利かない、あるいは非難めいた言葉を吐いてもおかしくないが、そういうことはなかった。

「教会に対する反発は当然ありました。しかし自分が教会を潰しに掛かろうと思っていたわけではないと思う」と元幹部は語る。当時の山上容疑者の人となりを知る元幹部は「僕が例えば会社を持っていたら普通に雇いますよ」とも語る。

元幹部が語る山上容疑者が教団幹部殺害を決意するに至るまでには、かなりの距離がある。それが安倍氏殺害にまで至るとなるとさらに飛躍がある。2009年以降、元幹部と山上容疑者の交流は途絶える。山上容疑者がSNSなどで教団への激しい敵意を表し始めたのは2019年頃からだ。この空白の10年の間に境遇や心の世界で、何か深刻な変化が起きたと考えられる。

(世界日報特別取材班、写真も)

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