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秋の野草、さまざま 東京郊外の里山を散策

「雑草の美学」を綴った西脇順三郎

コセンダングサ。実の冠毛は針状に尖っている

東京郊外の里山を散策していると、今の時期、よく目にする植物がある。コセンダングサ、タウコギ、メヒシバ、ミゾソバ、イヌタデなど。

野草を愛した詩人に西脇順三郎がいる。著書『野原をゆく』(毎日新聞社)の中の「私の植物考」という章で「雑草の美学」をはじめその愛着ぶりをつづっている。西脇の場合、幼い頃の追憶につながることや、西欧と日本との対比の興味深さ、寂しさへの情感が根にあった。

「栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花一つほどにも着飾ってはいなかった」(マタイによる福音書6の29)というイエス・キリストの言葉は、西洋での植物の見方に大きな影響を与え、ワーズワースは「ごく詰まらない花に無限の涙を覚える」と詩に詠んだ。

秋の花々の特徴は小さくて目立ちにくいことにあるが、よく見ると美しいもの、面白いものがたくさんある。

タデ科の植物ミズヒキは、花序(かじょ)が30㌢もあり、上から見ると赤く下から見ると白。紅白の水引に例えて名付けられ、茶花にも用いられる。床の間に飾る思想はワーズワースの詩にも通じる。

同じタデ科のミゾソバは集まって咲く白とピンクの小さな花が金平糖のようで美しい。田の畔(あぜ)や湿地に群生するが、牛の顔に似た葉はてんぷらにしてもおいしい。

この葉を浅川や多摩川の土手で集めて、薬草を作っていたのが幕末の志士、土方歳三の一家だ。打ち身やくじきに効くといわれ、若き日の歳三はその販売員。かつて日野市の土方歳三記念館で、生家の家伝薬「石田散薬」とその張り札を見せてもらった。

西脇順三郎は「雑草」という言葉を使ったが、日本語と英語とでは意味が少し違うと解説する。日本語では「名のない雑草」という観念だが、英語のweedsは、「無用の邪魔になる草」。西脇は雑草だけを植えた庭を造りたいと考えるが、矛盾した考えだと気付く。

専門家の長田武正は解説によると「人里の植物のうち、とくに農耕地に入り込んで作物とせり合うようになったものが農学上の雑草である」と定義する(『人里の植物Ⅰ』、保育社)。イヌビユなど農耕地を離れては生活できない植物は雑草だが、耕地に入り込まないオオバコは雑草とはいい難いという。英国での使い方に近い。しかしこのような区別をするのは、学者だけなのかもしれない。

(増子耕一)

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