鎌倉幕府を理解する名著2冊
永井路子『つわものの賦』司馬遼太郎『三浦半島記』
と司馬遼太郎著『街道をゆく四十二三浦半島記』(朝日新聞社).jpg)
NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の放送に合わせ、今年は鎌倉幕府や北条氏に関する出版が相次いだ。そんな中で、歴史小説の第一人者として活躍した永井路子の『つわものの賦』(昭和53年、文藝春秋)と、同じく司馬遼太郎『街道をゆく四十二三浦半島記』(平成8年、朝日新聞社)を読んで、改めて両作家の確かな史眼に感心させられた。
永井氏は『つわものの賦』を、石橋山の合戦で敗れた源頼朝が、なぜ巻き返しに成功したのかという問題から始めている。頼朝は房総へ逃れ、千葉氏や上総(かずさ)氏の協力を得て再起するわけだが、結局これは「頼朝の旗揚げ」ではなく、「東国武士団の旗揚げ」であることを強調する。そこから当時の西国と東国、朝廷および貴族と武士の、支配と被支配の関係を土地問題を中心に縷々(るる)説明し、「従来の屈辱的な隷属から一歩でも脱け出し、あるていどの権利を主張しようとしたのが、この治承の旗揚げなのだ」と述べる。
同書は頼朝の挙兵から始まり承久の乱で終わっているが、そのクライマックスは、北条政子が、東国武士たちに京へ攻め上り後鳥羽上皇軍と戦うことを訴える場面。ここで永井氏は改めて述べる。「彼らに対決を決意させたのは、土地への権利を死守しようとする東国武士団のパワーである」と。
司馬氏もまず、注目するのは武士たちの土地への執着である。武士とは開発農地の武装した管理人と規定し、史書の記述を引きながら、「一所への武士の執念は、こうもすさまじい」と述べる。
そもそも鎌倉幕府の担った中心的な仕事が、絶えず起こる土地をめぐる武士同士の争いを裁く民事裁判所であったというのが司馬氏の見方だ。頼朝が征夷大将軍の就任にこだわったのもそのためであった。
司馬氏は言う「農民――武士という大いなる農民――が、政権をつくった。律令(りつりょう)制の土地制度という不条理なものから、その農地をひらいた者や、その子孫が、頼朝の政権によって農地の所有をたしかなものにした」。
さらに続けて「その影響ははなはだしい。現実の農地が現実の農場主のものになったことで――たとえば彫刻も写実的になり、絵画や文学もそのようになった。/宗教において、その影響ははなはだしい」と鎌倉仏教の成立にまでつなげている。独特の語り口で、日本人の精神史の機微が語られる。他の歴史紀行にはない「街道をゆく」の真骨頂である。
司馬氏は最後の章で鎌倉時代の意義を再論。「法の世になったともいえる」とし、公家に対する武家政治の法典としての「貞永式目(じょうえいしきもく)」制定の意義を強調して次のように述べる。
「儒教主義の中国や朝鮮が、法や律を持ちつつも、原則は徳を持って治むという人治主義――中国ではいまなお――でありつづけたことを思うと、鎌倉の世が果たした功は大きい」
中国、朝鮮にまで目を広げての評価は、さすが、司馬氏だ。
永井氏や司馬氏の歴史エッセーの面白さは、これまでの学者の研究成果を踏まえつつ、自身で歴史資料に当たり、独自の歴史を語るところにある。作家が持ち味とする人間に対する鋭い洞察を巧みな比喩などで印象深く描く。両書を鎌倉時代、武家政権の誕生の本質を語る格好の読み物として勧めたい。
(特別編集委員・藤橋進)