参院選の最中に凶弾に倒れた安倍晋三元首相の国葬儀が近づいた。通算3188日という歴代最長の在任期間は一番外側の結果であり、本当の業績は、日本を取り巻く環境が悪化する中、先見の明をもって世界をリードする新しい国創りの礎石を据えたことであろう。その遺志を受け継ぐため、主な遺産を辿(たど)ってみる。
「自ら反みて縮(なお)くんば千万人といえども吾ゆかん」
安倍氏は首相に返り咲いた直後に出版した著書『新しい国へ』(文春新書)の中で、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家、即ち「闘う政治家」でありたいと常に願っていると述べ、同郷の俊才・吉田松陰が好んで使った孟子のこの言葉にその意気込みを託した。
第1次政権で防衛庁の省への昇格を実現した安倍氏は、第2次政権において国家安全保障会議(NSC)の創設と「積極的平和主義」を理念とする国家安全保障戦略の策定、インテリジェンスの穴を埋める特定秘密保護法の制定と、矢継ぎ早に安全保障体制の整備を推進した。
その基盤の上で挑んだのが、日本における安全保障政策の大きな転換点となった2015年9月の平和安全法制(安全保障関連法)の制定だ。
政府は14年7月の臨時閣議で、「権利はあるが、行使できない」とされてきた集団的自衛権の限定的な行使を容認する憲法解釈の変更を決定。その上で翌15年5月、国際平和支援法と平和安全法制整備法の二つから成る安全保障関連法案を国会に提出。200時間を超える審議を経て成立させた。
もともと安倍氏が第1次政権当時から取り掛かっていた改革の一つであり、日本版NSCのための有識者会議と同様に、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)を発足させて着々と準備を進めていたが、病気による無念の退陣で挫折していた。
同法案は、存立危機事態への対処などを設け、切れ目のない平和安全体制を整備するものだが、護憲派中心の野党やマスコミから「戦争法案」「アメリカの戦争に巻き込まれる」「徴兵制が復活する」など、根拠のない批判を浴びせられ、激しい抵抗を受けた。それでも実現させた背景にあったのは、「日本のために絶対必要だ」という安倍氏の強い信念に他ならない。
旧民主党政権の下で悪化した日米関係を再び強固にするために安保法制は決定的な役割を果たした。大統領選挙の時から、「日本が攻撃されれば、われわれはどんな犠牲を払ってでも戦うが、米国が攻撃されても日本は必ずしも助けてくれない」と日本の「安保ただ乗り論」を繰り返していたトランプ前大統領を説得する際に安倍氏が語ったのが安保法制制定時の苦労話だったことは有名だ。
第1次安倍内閣が発足した06年版の防衛白書は、中国について「軍事力の近代化を急速に進めており、近い将来にも中台の軍事バランスにおける台湾の質的優位に大きな変化を生じさせる可能性もある」と記述していた。現在、中国の軍事力は格段に強化され、尖閣諸島にも飛び火しかねない台湾有事が近未来の脅威として国際社会に認識されるまでになった。
安倍氏が整備した安保体制がわが国の防衛力強化に大きく貢献したことは事実だ。しかし、激変する安保情勢の中で国の主権と国民を守るためには、安倍氏が唱えていた敵基地攻撃能力の保有や防衛費GDP(国内総生産)比2%以上への増額など課題も多い。それにどう対応するかは、国を率いるリーダーの決意と信念に懸かっている。
(亀井玲那)