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小堀桂一郎氏の近著『國家理性及び國體について』

日本精神史から深まる考察

小堀桂一郎著『國家理性及び國體について』(明成社)

縄文からの伝統引き継ぐ国体

福沢諭吉「帝室論」の問題点も

小堀桂一郎氏が、ここ数年の間に発表した三つの論文と三つの講演をまとめた『國家理性及び國體について』を明成社から上梓(じょうし)した。

著者が常に高い関心を抱く国家や日本精神史に関わるテーマを扱ったもので、この分野での思索の深まりを知ることができる。著者にしては比較的短めの論考や講演をまとめた220ページほどの本であるが、その旺盛な知的探求心と国を思う真情が行間からにじみ出てくる一冊となっている。

小堀桂一郎氏

最初の論文「國家基本問題としての『國家理性』論――その沿革と現代的効用について」は、「国家理性」について、ドイツの政治思想家マイネッケからマキャヴェリにさかのぼり、その語義について考察し、さらにその日本での展開について述べている。

西欧由来の概念のようにみえる「国家理性」だが、実は近世日本の為政者たちにその働きを見る事ができるという。その例として著者は豊臣秀吉、徳川家康、徳川秀忠が行ったキリシタン排撃を挙げ、この措置についてスペインやポルトガルの宣教師が「国家理性」による判断の結果として説明していることに注目する。

国家理性すなわち「『機』を看て取る君主の判断力」が国を救った例として著者が次に挙げるのは、ポツダム宣言受諾の昭和天皇の御聖断である。重臣たちの意見が真っ二つに分かれる中、昭和天皇は憲政史上異例の形で自身の政治的判断を述べる。それは「文字通りに國家理性の鶴の一聲であつた」。

小堀氏が改めて「国家理性」を問題とするのは、近年の日本を取り巻く安全保障環境の緊迫がある。

「被占領下の帝王學敎育――『帝室論』の投ずる光と翳」は、戦後、東宮参与として慶応義塾長の小泉信三が行った皇太子(現上皇陛下)の帝王学教育について、小泉がその柱とした福沢諭吉の「帝室論」の文字通り「光と翳」を論じている。

著者は<帝室は政治社外のものなり>と説く「帝室論」の意義を認める一方で、福沢の論はあくまで英王室を手本にしたものであり、わが国の尊皇思想の深い根底を見落としていると指摘する。

今でも皇室論では重視され、令和の皇室にも影響を与えている「帝室論」の「翳」の部分の指摘には意味深長なものがある。

講演録「更めて考へてみる我が國體――祭政一致の歴史七千年」は、有史以前の縄文時代にまでさかのぼって日本の国体について語ったものだ。

近年の考古学的な発見等で、縄文時代の優れた文化が明らかとなる中で、田中英道・東北大学名誉教授の研究などにも刺激を受けての、思索の展開が語られる。

小堀氏は縄文人の精神文化や神武天皇が即位後行った祭祀(さいし)などに触れつつ、祭政一致の国体は、日本という国家の建設の遥(はる)か以前、「縄文時代の文化の段階で既に形成され始めていた天神地祇への畏敬と感謝といふ住民の精神生活の様式が具體的な形をとつたもの」と結論付けている。中世から近世近代を主に論じることの多かった著者の思索が縄文時代にさかのぼったのには、やや意外な感があったが、日本精神史の研究に力を注いできた小堀氏の旺盛な知的探求の中での自然な成り行き、深まりであると思われる。

(特別編集委員・藤橋 進)

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