平成・大正 私小説作家の魂の交感
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生き様、創作態度に共鳴
悲惨な中にも「笑い」散りばめ
今年2月54歳で亡くなった作家、西村賢太氏が眠る石川県七尾市の西光寺にある墓に詣でた。西村氏の墓は氏が心酔した七尾生まれの大正時代の私小説作家、藤澤清造の墓と対をなす生前墓として用意されていたものだ。
墓地の入り口近く、同じ基壇の上に細長い石柱が並んでいる墓があり、すぐそれと分かった。その姿は双子の兄弟のようにも見える。お盆が過ぎた頃だったが、それぞれの墓には花のほかに、缶ビールやコップ酒が所狭しと供えられていた。西村氏の墓前にはラッキーストライクの箱も。
藤澤清造は、長編小説『根津権現裏』や短編小説、そして戯曲なども遺(のこ)したが、疾病と貧苦を抱えながら芝公園内のベンチで凍死体として発見されるという悲惨な最後を遂げたことばかりが語られる、マイナー作家とみられてきた。
しかし、西村氏は、清造の境遇が自分に重なるところもあり、その作品世界に深く親しんでいく中、忘れられた私小説作家の研究に取り組む。月命日には東京から七尾を訪れ墓の掃苔(そうたい)をし、調査研究のため一時期は七尾市にアパートを借りて住む。さらには、西光寺の縁の下に置かれていた清造の墓標をもらい受け、アパートの一室に安置して菩提(ぼだい)を弔うまでの心酔ぶりを示した。その経緯は小説『どうで死ぬ身の一踊り』(新潮文庫)に生き生きと描かれている。
そして西村氏は、氏の編集・解題による全5巻、別巻2の『藤澤淸造全集』の刊行を決意。結局これは実現しなかったが、西村氏が2011年に『苦役列車』で芥川賞を受賞したのを機に、忘れられた大正の私小説作家、藤澤清造の再評価の機運を生む。『根津権現裏』、西村賢太編『藤澤清造短篇集』(ともに新潮文庫)が相次いで刊行された。
版元となるはずだった朝日書林が作った全集のパンフレットに載せた「『藤澤●造全集』編輯にあたって」で西村氏は、清造へのこれまでの不当な評価に異議を唱えるとともに、次のように清造を評している。
「悲惨だが滑稽、野暮なんだがダンディー。そしてかたくなまでの正義感をおのれの貫くべき美学と心得、一歩も引かなかった男」。この生きざまが、「藤澤文学の持ち味そのもの」と言う。
深刻ぶった暗いだけの小説ではなく、そこに「笑い」があることを西村氏は指摘している。
これは平成の私小説作家・西村氏の作品にも言えることだ。西村氏の小説の魅力は、貧乏や悲惨な境遇を描きながらも、「笑い」が各所にちりばめられている。遺作となった未完の長編『雨滴は続く』(文藝春秋)も、読みながらにやにやしたり時には声を上げて笑ってしまうところが実に多い。
西村氏の藤澤清造への傾倒は、その生きざまや創作態度の深いところからくるものであった。そうでなければ、あの世に行ってまで隣り合わせでいたいとは思わないだろう。
(特別編集委員・藤橋 進)