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「メメント・モリと写真」展 東京都写真美術館

資本主義社会の結末を警告

小島一郎《つがる市稲垣付近》1960年ゼラチン・シルバー・プリント青森県立美術館

死を主題に中世と現代を対比

東京都写真美術館で「メメント・モリと写真」展が開かれている。「メメント・モリ」とはラテン語で「死を想え」という意味。日常生活が死と隣り合わせであることを示した警句だった。

ヨーロッパではペスト菌によるパンデミックを幾度も経験していて、14世紀から17世紀にかけて、骸骨が人間と一緒に踊る「死の舞踏」が芸術の題材として広く用いられた。展示された写真約150点は、19世紀から現代にかけての名作ばかり。

序章にはハンス・ホルバイン(子)の『死の像』(試し刷り)(1523~26年頃、木版、国立西洋美術館蔵)25点が展示され、圧巻。これは楽園から追放されたアダムとエバの子孫である王妃や司教や貴族が、骸骨と手を取り合っているさまを描いた連作。骸骨は死を象徴している。

展示作品の出品者でもある藤原新也さんは、「メメント・モリとは何か?」という解説文を寄せている。

この文章は中世のペスト菌パンデミックと現代のコロナ禍を対比するもので、現代社会の背景である資本主義社会を取り上げ、「人間生活の拡張を目指すこの資本主義は快感原則を旨としており、自ずとその原則に反するものを隠蔽する傾向が生じる」と述べ、無視されてきたファクターこそ「死」だと明示する。

しかし、今や「死」を排除できない時代に来ていると語り、東日本大震災、原発崩壊、ウクライナ戦争、環境破壊と理由を挙げる。「死を想え」は資本主義社会の結末が突き付けた警告だという。

序章に続いて、写真のメディア論、孤独、幸福などの章立てで作品が展示され、ロバート・キャパ、セバスチャン・サルガド、澤田教一など18人の作家が登場する。

全体に共通するテーマがあり、米国の批評家スーザン・ソンタグ『写真論』の中の言葉がそれを象徴している。「写真はすべて死を連想させるもの(メメント・モリ)であり、写真を撮ることは他人(あるいは物の)死の運命、はかなさや無常に参入するということである」と。

展示作品の中には、ベトナム戦争での戦場の風景を描いた澤田教一の作品や、アフリカでの飢餓民を捉えたセバスチャン・サルガドの作品など、直接的に死を暗示するものもある。

それらをメメント・モリというキーワードで見ると、どの作品も、それらは人生の一瞬の場面であって、やがては死に向かって進んでいく「二度と戻らない時間」であることを強烈に意識させる。

図録写真集の表紙に使われたマリオ・ジャコメッリの《やがて死がやってきてあなたをねらう》(1954~68年頃)は、老夫婦がキスをしている場面だが、わびしく、悲しい。

 この言い難いわびしさ、寂しさ、悲しさが、写真展全体を包んでいるのだ。

小島一郎の《つがる市稲垣付近》(1960年)は、青森県の寒村の冬景色で、暗く重い雲に包まれた雪道を、村人たちが行く後ろ姿を撮影している。前も後ろも闇で、その闇こそ人間の存在を象徴しているかのようだ。

西欧で「死の舞踏」の時代の後に来たのは、霊的刷新運動、宗教改革だった。現代もまた、古いものが新しいものに場所を空ける時が来ているのであろう。9月25日まで。

(増子耕一)

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