前回同様 保革一騎打ちに

普天間飛行場移設が争点
沖縄国際大学(沖縄県宜野湾市)の構内に2004年、米軍普天間飛行場(同市)のCH53 D大型輸送ヘリが墜落してから、13日で18年となった。宜野湾市では9月11日、任期満了に伴う市長選が行われる。
国も県も普天間飛行場の危険性除去を強調するが、早期の辺野古(名護市)移設を目指す自公に対し、革新陣営は移設計画の見直しを求めている。(沖縄支局・豊田 剛、写真も)
返還合意から26年
墜落事故から18年
普天間飛行場は街の真ん中にあり「世界一危険」といわれる。墜落の危険性を避けるため、滑走路の延長線上にクリアゾーン(土地利用禁止区域)を設定するのが世界の常識だが、普天間飛行場のクリアゾーンには住宅だけでなく学校や公共施設が点在する。

国と県、宜野湾市による普天間飛行場負担軽減推進会議の本会議は、19年4月以降開かれていない。すなわち、玉城デニー知事になってから一度も開かれていないのだ。2014年にオール沖縄県政が誕生して以来、普天間飛行場の危険性除去に向けた政府との協議が進まない一方で、対立だけが先鋭化している。
県は12日、再び辺野古移設をめぐり国を相手取って提訴した。防衛省の埋め立て変更承認申請を不承認とした県の処分を斉藤鉄夫国土交通相が取り消したことを不服として、福岡高裁那覇支部に提訴した。国交相裁決の取り消しを求める。

辺野古移設に関連する国と県の訴訟は10件目となるが、いずれも敗訴か訴訟取り下げとなっている。ただ、軟弱地盤をめぐる変更申請に関する訴訟は初めてだ。
玉城知事は12日の定例記者会見で、相次ぐ訴訟によって普天間飛行場の移設作業に遅れを生じさせているという批判に対し、「一日も早い危険性の除去は辺野古移設に関わりなく、直ちに政府が行うべきだ」と指摘。大型ヘリの窓枠が落下した普天間第二小学校(宜野湾市)に避難所が設置されていることは「およそ全国にない異常な状況だ」とし、辺野古移設に固執する政府が問題だと訴えた。
松川正則宜野湾市長は、「返還合意から26年が過ぎ、それでもなお反対するだけで、宜野湾市民の状況を理解していないのではないか」と県への不満をあらわにする。
県政野党の自民党県連の幹部は、「今回の訴訟を提起するかどうかの期限が8月12日に設定されていたとはいえ、知事選や宜野湾市長選を前にしたパフォーマンスだろう。訴訟を乱発することでオール沖縄の結束力を高めようとしているのではないか」と批判した。
市長選は、自公が推薦する現職の松川氏と玉城知事を支える「オール沖縄」陣営の仲西春雅氏がこれまで立候補を表明しており、4年前の前回と同じ顔触れの戦いとなる。
前回は、佐喜眞淳氏が知事選出馬のために市長を辞職したことで実施され、松川氏が26214票、仲西氏が20975票獲得した。政権与党が支援する候補と「オール沖縄」の一騎打ちの構図は7月の参院選と変わらない。
最大の争点となる普天間飛行場の移設問題では両者で大きく考えが異なる。松川氏は6月8日の出馬表明会見で「現状としては選択肢がない中で、普天間飛行場の辺野古移設は容認せざるを得ない。何としても普天間飛行場の一日も早い閉鎖返還をして、負担軽減を目に見える形で実証したい」と述べた。
政府が辺野古代替施設の完成まで12年かかるとしていることについて、「短縮できる」と考える。松川氏の前任の佐喜真氏は、知事選で普天間飛行場の2030年までの返還を公約に掲げており、両者が当選すればタッグを組んで政府に要請する考えだ。
知事選と市長選と同じ日には市議選も行われ、トリプル選挙となる。市議25人のうち16人が与党で、佐喜真氏と松川氏とのセットで選挙戦を優位に展開する。
一方、仲西氏は辺野古移設と切り離した普天間飛行場返還を求める。7月23日の出馬表明で「新たな基地は認めず、普天間飛行場の運用停止と一刻も早い閉鎖返還を強く求める」と力を込めた。宜野湾市出身の伊波洋一参院議員が7月の参院選で再選を果たしたことを追い風にしたい考えだ。





