街道で運ばれた輸入品 旅人に時を告げた小野神社 東京都町田市

鎌倉と上野国(こうずけのくに)を結んでいた鎌倉街道上道は、中世の東国での幹線道路だった。沿線には多くの武蔵武士が点在していたが、形成されたのは彼らの本拠ばかりではなく、交通集落としての宿もできていった。

東京都町田市にある小野路宿もその一つで、近世になると大山詣の宿駅として栄え、小野路宿通りには今もその面影が色濃く残っている。

この街道が鎌倉街道上道の宿であったことを伝えるのは小野神社だ。小野路宿通りの西側にあって、丘陵の麓に鎮座している。この神社にはかつて梵鐘(ぼんしょう)があり、その後、北条早雲による荒井城攻撃の時に陣鐘として使われ、現在は神奈川県逗子市の海法院に伝わっている。

刻まれた銘文によると、この梵鐘は応永10(1403)年、小山田保の僧、正珍が費用を集めて造り、奉納したもの。「往来の人をして晩宿早発に其の時を知らしむ」「道路の艱難を逃れしむ」「宿客に暁を報じ、路人時を知る」と記され、旅人のための鐘として使用されていたことが分かる。

鎌倉街道上道をもう少し北へ進むと、現在の多摩ニュータウンに至るが、ここでも遺跡が見つかっている。多摩ニュータウンNo.52遺跡と、同No.22遺跡、霞ノ関南木戸柵跡がそれだ。No.22遺跡から出土したのは輸入品の白磁と青磁、兜(かぶと)に付ける鍬形(くわがた)、鏡など。

上道は人々と物資が行き交う幹線道路でもあった。