企画展「加賀藩の武家社会と儀礼」 儀礼の数々 古文書で紹介

金沢市の前田土佐守家資料館

企画展「加賀藩の武家社会と儀礼」の展示風景=金沢市の前田土佐守家資料館

金沢市の前田土佐守家資料館で開催中の企画展「加賀藩の武家社会と儀礼」では、藩の上級武家だった同家で執り行われていた儀礼の数々が、古文書などで紹介されている。元日の登城拝礼に始まり、武家社会で重要視された儀礼の数々で、しきたりを重んじてきた武家社会の様子が垣間見られる。

展示されているのは古文書中心で、同家5代当主直躬(なおみ)と6代直方(なおただ)およびその嫡子直養(なおやす)の時代で、江戸中期から後期に当たる。直躬の日記から元旦儀礼を見ると、七ツ半時(午前5時ごろ)に起床し、奥での祝いを済ませてから五ツ時(午前8時ごろ)に登城、四ツ時(午前10時)の帰宅後に同家上屋敷の表の空間において、嫡男の直方やその他の男子、家臣たちから年頭のあいさつを受けている。

武家の儀礼は一般的に、元日、五節句、歳末の登城拝礼など城中で行われる「年中儀礼」と誕生に始まり、元服、家督相続、婚姻、葬儀まで人生の節目ごとに行われる「人生儀礼」がある。これらの儀礼は、身分や家格といった武家社会における秩序をつくり出し、それを維持するために行われるという側面も持っていた。武士は諸儀礼を通して、家督相続前から亡くなるまで、絶えず主君との関係を意識しつつ、その務めを果たしていた。武家社会において、儀礼がいかに重要であったかが分かる。

当主になると、「新知拝領」される。直方を例に見ると、元服した宝暦13(1763)年5月4日、新知2500石を拝領している。加賀藩の年寄衆八家の嫡男は、元服後、家督相続前に2500石の新知を拝領するのが通例だった。

直躬、直方、直養のいずれの時代の記録にも、元旦儀礼は城中での儀礼が済んで退出した後、四ツ時頃から始まり、前述の「山吹之間」で嫡子やその他の子息から年礼を受け、ついで家臣たちからの年礼を受けている。

同館学芸員の竹松幸香さんによると、儀礼については、その時々で変更も可能だったようだが、なるべく旧例に従って執り行うように心掛けられていた。「代々儀礼を伝え、正確に行うのも当主の務めだった」ようだ。

さらに竹松さんは「武家儀礼は生活に密着しており、藩主や家臣たちとのコミュニケーションの重要な手段の一つだった」とも指摘している。

同展は9月25日(日)まで。

(日下一彦)