【フランス美術事情】「エコール・ド・パリ(1900―1939)シャガール、モディリアーニ、スーティンたち」展

20世紀の巨匠が足跡残す

「ショールのポーランド人女性」1928年 モ イ ズ・キ ス リ ン グmuseed’Art moderne de Ceret,2022 GuyBoyer.

南仏の田舎町 セレの近代美術館

フランス人は夏の2カ月間、1カ月交代で太陽を求め、南へ向かう。コロナ禍でリゾート客が激減した2年間を打ち消すようにバカンスで大移動を開始しているフランスだが、今年は熱波の影響でリゾート地によっては苦戦中だ。

夏の数週間を南仏で過ごすのはフランス人だけでなく、ヨーロッパ以外にも、アメリカ大陸からもバカンス客が集まる。彼らは日光浴をするだけでなく、スポーツや芸術を楽しむことも目的だ。そのため各リゾート地は競うように、さまざまなアートフェスティバルも開催する。

ピレネー山脈の麓、スペインと国境を接する田舎町、セレの近代美術館では「エコール・ド・パリ(1900―1939)シャガール、モディリアーニ、スーティンたち」展(11月13日まで)が開催されている。かつて17世紀のカルメル会修道院だった敷地内に美術館はある。

1950年に開館した同美術館はセレにゆかりの芸術家の作品を収集し、多くの巨匠たちの寄贈やコレクターが協力、初期のコレクションを完成させた。例えば、ピカソの闘牛シリーズの陶器作品の灰吹皿28枚、マティスが1905年滞在時に描いたデッサン14枚などだ。

1990年代以降、本格的な増改築工事をきっかけに20世紀初頭にセレで繰り広げられた美術史上のムーブメント、つまり、エコール・ド・パリの画家たちが美術史を変える運動を同地で展開した意味を再評価する美術館に生まれ変わった。

パリから避暑地セレに移動してきた野心あふれる芸術家たちが、どんなインスピレーションをセレで得たかは重要な視点だ。

さらに山間のセレから東方約20キロの地中海に面した中世の港町、コリウール、そこから南下したスペインのコスタ・ブラバは、対象を幾何学的図形に再構築したキュビズムの聖地とも呼ばれる。20世紀美術を決定付けた新様式が生まれた地だ。

セレは2007年、「人口2万人以下の町の仏国内美術館の格付け」で第2位にランクされた。パリとピレネー山脈の麓のセレを結び付けたピカソ、シャガール、キスリング、スーティン、サベージたちは、ほとんどが外国出身者でユダヤ系も多かった。多文化、多人種の芸術家に創造の場を与えたのはパリだけではなかった。

さらに後に巨匠になったマティスなどによって、フォービスムの新しい美術運動が生まれた。マティスやシャガールは南仏が気に入り、作品制作の本拠地をニース郊外の高台に構えた。

エコール・ド・パリの芸術家たちは、西洋美術史で過去にない変革をもたらし、画家個人の独自の芸術性を初めて主張したことでも知られる。

同時に彼らの多くは科学の登場に振り回され、理論が先行する場合も少なくなかったが、目に見える自然から離れることもなかった。

人は産業化が進むことで大都市に移動し、都市生活で失われた自然環境に飢えていた時代だった。その自然を芸術に求め、その要求に見事に答えたのが印象派の画家たちだった。そのためフランス人は今でもエコール・ド・パリの芸術作品を最も好んでいる。

(安部雅延)