石原慎太郎氏の遺著『「私」という男の生涯』

「稀有な男」の人生への感慨

石原慎太郎著『「私」という男の生涯』(幻冬舎)

生を充実させた海・女性

原点にある戦後体験

今年2月に89歳で亡くなった石原慎太郎氏の遺著『「私」という男の生涯』を読んだ。帯には「『自分と妻』の死後の出版のために書かれた自伝」とある。石原氏には『わが人生の時の人々』『国家なる幻影 わが政治への反回想』などの自伝的な回想があるが、本書は脳梗塞に倒れ、肉体の衰えを自覚する中で書き始められた。

自身の「死」を意識し、自らの人生を総括するように、感慨が語られている。

本書の中で、石原氏は「小説の醍醐味とはなんと言ってもストーリーテリングの味わい」と述べている。本書はもちろん小説ではないが、石原氏の生涯は自然、愛、肉体、生と死などにまつわるストーリーに満ちていて、やや陳腐な表現になるが小説よりも奇なるものがある。

前半は人生の甘美な追想が語られる。その中心にあるのは海と女性だ。自分を「好色」であると言い、過去の女性との交情が語られる。自慢話ではないかと鼻白むところもあるが、これは読む方のやっかみだろう。

自身と夫人の死後の発表を前提としているとはいえ、ここまで自らをさらけ出すのは、やはり作家としての自負と良心だったように思われる。遠くない将来訪れる「死」に対しても、最後の「未知」として対しようという作家の好奇心、探求心がうかがえる。

出会った女性以上に、著者が人生の充実をしみじみと語るのは、海での体験である。死と隣り合わせのヨットレースの体験などから、こんな言葉を語っている。

「そうなのだ、海という地上とは位相の異なる世界に身を置くことで初めて、私は自分の存在について陸にいる時以上に、一種透明な感覚の中で考え、捉え直すことが出来る」

一方、政治との関わりについてはこんなくだりがある。「私のこうした回想に並行して政治家としての人生も在りはした。それをたどってみても索漠とした感慨しかありはしない」。

政治家としては志半ばに終わった面があるものの、政治家として東京都知事として残した業績は大きなものがある。

しばしばタカ派的言動で左派の非難の的となったが、リーダーシップと発想の豊かさは抜群のものがあった。それを世間が十分正当に評価しなかっただけだ。

ただ政治家と作家の二足のわらじをはいていたために、作家活動、特にそのエッセンスである小説が正当に読まれ評価されなかったことには不満は隠さない。

作家にして政治家というだけでも稀有(けう)な才人というべきだが、石原氏は戦後日本において、それ以上の存在だった。本書はそれを改めて実感させる。多彩な才能や器量、僥倖(ぎょうこう)ともいうべき多彩な人物との出会いもあるが、石原氏は何より戦後の日本で精神的に去勢されなかった数少ない日本人の代表だった。

その原点にあったものは十代での敗戦体験と思われる。ほかの回顧録にもあるが、敗戦後、教師ら大人たちが示した醜い変節への嫌悪、それへの石原少年の抵抗が本書にも書かれている。

そんな石原氏の詳細な本格的評伝を誰か書いてくれないだろうか。また石原氏が政治家との二足のわらじゆえに不当に軽視された文学的業績へのきちんとした評価も必要だ。個人的には、海を舞台にした小説や回想記を集めた選集をどこかの出版社が出してくれないかと思う。

(特別編集委員・藤橋 進)