日本の保守陣営をけん引してきた自民党の安倍晋三元首相が凶弾に倒れた。通算8年8カ月の歴代最長政権を築いた安倍氏は安保環境の激変に対応するため、集団的自衛権の行使容認などの政策を推進。退陣後も政権に影響を及ぼし持論を推し進めようとしたが、悲願とする憲法9条改正はついに見届けられなかった。
安倍氏が第2次政権を7年8カ月維持できたのは1次政権の失敗が大きい。戦後最年少の52歳で担った1次政権は初めこそ高支持率で滑り出したが、「戦後レジームからの脱却」「美しい国」など保守的信条を前面に押し出した政権運営で、教育基本法の改正、憲法改正の国民投票法制定などを実現させたが、護憲派の野党やマスコミの反発を買った。閣僚の不祥事も相次ぎ、持病悪化を理由に、わずか1年で退陣した。
この教訓から、2012年12月に旧民主党から政権を奪還した安倍氏が細心の注意を払ったのが「順序」だった。憲法改正など「安倍カラー」の強い政策課題はいったん棚上げし、日本経済の立て直しを掲げて「アベノミクス」を推進した。
安倍氏は1次政権の反省をつづったノートを読み返しながら、2次政権の運営に当たったと後に振り返っている。「優先順位が正しくないと、国民の支持を失う」などと記されていたという。
アベノミクスは日経平均株価を2倍超に引き上げ、長期政権のエンジンとなった。国政選挙で勝利を重ね、安全保障関連法など国論の割れる法律も次々と成立させた。17年の憲法記念日には自民党総裁として、20年に改正憲法を施行する目標も打ち上げた。
「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」にも力を入れた。トランプ前米大統領とは「たしなめられるのは安倍氏ぐらい」との声が米政府内から出るほどの関係を築いた。ただ、最重要課題の日本人拉致問題は停滞。事実上、2島返還にかじを切った北方領土問題はかえって後退したとも指摘される。
「安倍1強」の長期政権という政治状況は官邸に忖度(そんたく)する空気を霞が関に生み、森友学園問題や加計学園問題の遠因となったとされる。「桜を見る会」問題は政権私物化と批判された。
安倍氏は20年9月の退陣後も、後継政権を通じて自身の理想を追求しようとした。昨年11月に最大派閥の領袖(りょうしゅう)に就任すると、米国の核兵器を共同運用する「ニュークリア・シェアリング(核共有)」の議論を提唱。防衛費増額の実現を政府に迫った。衰えぬ意欲に永田町では「3度目の登板」をささやく声もあったが、持論を訴え続けた参院選遊説のさなか、志半ばで世を去った。