沖縄県は15日、祖国日本に復帰してから50周年を迎え、これを祝うイベントが各地で開かれた。政府と県が主催した記念式典は基地問題をめぐる両者の対立の影響で祝賀ムードは限定的だった。民間団体が主催した行事はそれとは対照に、復帰に対しての感謝や明日への希望に満ちあふれた内容だった。(沖縄支局・豊田 剛)
琉球王家の末裔も分断煽る動きに警鐘
県と政府主催の記念式典は沖縄と東京の二元中継で行われた。岸田文雄首相と玉城デニー知事が式辞を述べたが、基地問題をめぐる政府と県の対立は解消されないままだ。
「日米同盟の抑止力を維持しながら、負担軽減の目に見える成果を着実に積み上げる」と強調する岸田首相。これに対して玉城知事は、「復帰に当たって政府と共有した『沖縄を平和の島とする』との目標がなお達成されていない」と不満を口にした。
沖縄会場の外では政府を糾弾するデモが行われていた。毎年、6月23日の「慰霊の日」で目にする光景と似ており、祝賀ムードには程遠い雰囲気だった。
こうした対立構造に警鐘を鳴らした人がいる。琉球王家の末裔(まつえい)で第二尚氏の第23代の代表、尚(しょう)衞(まもる)氏(71)は14日、那覇市で開かれた祖国復帰50周年記念イベント冒頭のあいさつで、「(沖縄では)日本との対立を煽(あお)るような動きが時々見える。私たちの願いとは対極にあり悲しい」と述べた上で、沖縄の歴史文化の正しい継承が必要だと強調した。
このイベントの名称は、「尚家と祝う沖縄県祖国復帰50周年『祖国復帰の日』前日祭(主催・沖縄県祖国復帰記念大会実行委員会)。
復帰当時、教師として祖国復帰に尽力した仲村俊子氏(99)はビデオメッセージで、当時の左翼主導の復帰運動は「『基地のない平和な島』を目指して、返還協定粉砕と、全ての米軍基地の撤去、さらに自衛隊配備反対まで唱えていた。もし、彼らの主張が実現していたら、今の沖縄はどうなっていたのか」と振り返り、「沖縄が永遠に日本であり続ける」ことを願った。
イベントではまた、皇室ジャーナリストの三荻(みつおぎ)祥(さき)さんが皇室と沖縄の絆について講演した。その中で、上皇陛下は毎年、慰霊の日と昭和38年から続く沖縄豆記者との交流について考えてこられ、今上陛下もその精神を引き継いでいると説明。「皇室は今でも決して沖縄のことを忘れておらず、心を寄り添い続けるというメッセージだ」と述べた。
皇室の沖縄に対する思いについては、沖縄県神社庁参与の大山晋吾氏が15日、別の会場で行われた復帰50周年記念シンポジウムで話した。大山氏は、「上皇陛下は皇太子時代を含めて計11回沖縄訪問された。その際、必ず糸満市摩文仁の国立戦没者墓苑で戦没者の英霊をなぐさめられた」と述べ、沖縄県が祖国復帰を達成できたのは①皇室と沖縄の人々のつながりが強い②敬神崇祖の心を持っている人が多い③本土と同じ言葉・文化・宗教を持っている――という三つの要素があったからだと説明した。
このシンポジウム「沖縄が守る自由と民主主義」(一般社団法人みらい、一般社団法人JCU共催)は15日、浦添市で開かれた。パネリストの一人、長尾敬前衆院議員は 「50周年の節目を日本全体がどう捉えるかが問われているが、新聞報道や地上波には頼れない。影響力でもSNSが優位になっている時代、一人ひとりが情報発信をし、全国に意義が伝わるようにしないといけない」と述べた。
続いて登壇した元中部大学総合工学研究所特任教授で評論家の武田邦彦氏は、国際プロジェクト「世界価値観調査」が昨年発表した「幸せな人が多い国ランキング」でベトナムが1位になったことについて、「ベトナムは貧しくとも今日より明日が良くなるという希望を持って生きているからだ」と指摘。一方、同ランキング下位の日本は教科書で、沖縄戦での日本軍による悪行など悪いことばかりが書かれる傾向にあると述べ、「歴史を明るく、祖先を尊敬するように書くことが大切だ」と強調し、「大人が今日より明日が良くなると考える」よう呼び掛けた。
廃藩置県と日本復帰は正しい決断 尚衞氏の講演要旨
沖縄県の祖国復帰をどのように意義付けるのかは、百人百様で、それぞれの人生経験と沖縄や日本の歴史の学び方で異なる。今から50年前は、日本武道館で一人の国民として式典に参加した。尚本家においても、祖国復帰50周年は、沖縄にとって非常に重要な節目だと思い、前例を破ってこのような場に立つことにした。
廃藩置県の時、日本へ帰属するという大きな決断をされたのは、第二尚氏19代の尚泰王だった。当時は、日本各地の諸藩が、藩主の一存で大政奉還を決断したように、琉球がこれから存続していくには日本に帰属するのが正しい道だと決断した。
敗戦後の米軍統治下においては、祖国日本への復帰は、百万県民の悲願だった。祖国復帰は、沖縄県民の熱い情熱により、選び取った歴史だ。
廃藩置県で沖縄県が設置されて以降、尚本家は沖縄を離れて生活をしてきたが、尚家の魂は常に沖縄にあり、一日たりとも心が沖縄から離れたことはない。
琉球文化や沖縄方言を学ぶことによって、日本との対立を煽(あお)るような動きが時々見えることがある。それは、私たちが願っていることの対極にあり悲しいことだ。琉球文化を継承発展させることが、日本の発展につながるものでなければならないと思っている。