「桃太郎の鬼退治」舞台の一つ
起源は諸説 有力なのは「古事記」の物語

「鬼が島伝説」が創られたのは現代
瀬戸内国際芸術祭(瀬戸芸)は3年に1度、瀬戸内海の12の島と二つの港を舞台に開催される現代アートの祭典で、今年で5回目。4月14日からの春会期に25日、女木島(めぎじま)を訪ねた。その理由は、日本各地にある説話「桃太郎の鬼退治」の舞台の一つで、小学生の頃、高松市の親戚と一緒に海水浴に行ったことがあるから。
説話にはそれが創られた当時の人々の信仰が表れていて、興味深い。例えば、日本最古の説話集『日本霊異記(りょういき)』は薬師寺の僧・景戒(きょうかい)が平安時代初期にまとめたもので、悪行をして牛になったなど、多くは仏教の因縁話が収められている。仏教僧らが布教のために言い広めたため、そうなったのだろう。

『桃太郎』の起源は諸説あるが、有力なのは『古事記』にあるイザナギとイザナミの物語。亡くなったイザナミを追い掛けて黄泉の国へ行ったイザナギが、腐ったイザナミの遺体を見て逃げ出してしまい、怒ったイザナミが鬼に化け女たちに後を追わせたので、イザナギは桃の実を鬼たちに投げつけ追い払ったという。
これが、中国で霊力があるとされる桃で鬼退治をするという話の原型で、吉備(岡山)を治めるため、大和から派遣された吉備津彦命が温羅(うら)と呼ばれる勢力を討伐した歴史を桃太郎の物語にしたのだろう。

香川県の桃太郎は、吉備津彦命の弟・稚武彦命(わかたけひこのみこと)が吉備の国から讃岐(さぬき)の国に来た時、土地の住民が鬼の出没で苦しんでいるのを知り、周囲の島に住む勇士のイヌ・サル・キジを率いて鬼を征伐したというもの。その鬼が住んでいたのが女木島で、鬼がいなくなったことから高松市には鬼無(きなし)という町があり、桃太郎神社もある。
面白いのは、この話ができたのは大正3年に女木島に大洞窟が発見されてからという新しさ。香川県内の小学校教員で郷土史家だった橋本仙太郎が昭和5年、新聞「四国民報」夕刊に「童話『桃太郎』の発祥地は讃岐の鬼無」という記事を連載したのが始まり。

女木島は高松港からフェリーで約20分で、島の中央部にある鷲ヶ峰山頂に巨大な洞窟がある。女木島のすぐ先に男木島があり、両島と高松港と結ぶフェリーの名は「めおん」。白地に赤のしま模様が人気で、「瀬戸内海の小さな島々(シマジマ)の間を、小さな縞々(シマシマ)の船が進んでいく風景」をイメージしてデザインされ、両島は同名映画の舞台にもなった。映画ファンには、1988年公開の「釣りバカ日誌」第一作で、主人公の浜ちゃんが、女木島からフェリーで高松に通勤するシーンを思い出すだろう。大きなチヌを撮りたいとの山田洋次監督の要望で鳴門から取り寄せたと、ガイドの老人が教えてくれた。
橋本仙太郎が新聞発表の翌年「日本一桃太郎発祥地鬼無と鬼ヶ島」というパンフレットを全国に配布すると、西日本に多くの航路を持つ大阪商船が道後温泉や宮島とのセットで売り出したことで、女木島は一躍観光地となった。こうして、現代香川県の桃太郎伝説ができたのである。
洞窟が掘られたのは出土物から紀元前100年頃とされ、近世では大坂城の石垣の石も切り出されている。内部には鬼の大広間や居間、鬼番人の控え室などが再現され、赤鬼や青鬼に桃太郎らの人形が配置されている。無数の鬼瓦が敷き詰められているのは「オニノコ瓦プロジェクト2」(オニノコプロダクション)という瀬戸芸の作品。
絵になる風景として話題になったのは「カモメの駐車場」(木村崇人)で、風でカタカタ鳴るのがカモメが鳴いているよう。東京から来た古い友人の女性作家とも再会し、盛り沢山な女木島の旅になった。
(多田則明)