「秋田城跡」の整備進む
政庁の東西の門が連絡橋でつながる
奈良時代から平安時代まで、日本最北の大規模な地方官庁だった古代城柵「秋田城跡」の整備・復元が今も続いている。先日、明治時代に道路工事で分断された「政庁」の東門と西門を結ぶ連絡橋が完成。またスマホでのバーチャル体験もできるようになった。
秋田城が完成したのは天平5(733)年。北の蝦夷(えみし)社会と南の律令(りつりょう)国家との政治・軍事・文化・貿易の結節点だった(10世紀中頃まで)。聖徳太子が中国(隋)の政治や文化を取り入れ、大化の改新や遣唐使の派遣で律令(法律)や仏教を中心とした国造りが行われた時期である。
外郭は東西・南北約550メートルの不整方形で総延長約2・2キロメートル。創建期は瓦葺(かわらぶき)の築地塀(ついじべい)で囲んだ。内部には、東西94メートル、南北77メートルの政庁。外郭東門と政庁の東門、その間をつなぐ幅12メートルの城内東大路は復元済み。東北各地の蝦夷や大陸からの使節はその規模に驚いたことだろう。
1年9カ月と約4億円の工事費を掛け9日に完成したのは、政庁の東門と、明治時代に道路を通すために消失した西門を結ぶ長さ約18メートルの連絡橋(旧国道からの高さ7・5メートルの歩道橋)。連絡橋ができたことで周囲を一望でき、防御に適していること、日本海に近く東北各地・北海道以北との交易拠点としての利便性が実感できる。
史跡内は、発掘調査の遺構から建物の柱などを復元し史跡公園として一般公開。4月1日から11月30日まで(午前9時~午後4時)、史跡公園管理棟に待機するボランティアガイドが、コロナ対策を取りながら無料で説明してくれる。またアプリ「ストリートミュージアム」を使いバーチャル体験ができる。
昭和34年からの発掘調査で1万点を超す重要な遺物を発見。隣接する歴史資料館で史跡の全容が分かる。
特に全国屈指の出土量を誇る漆紙文書(うるしがみもんじょ)から古代地方行政の実態が解明されてきた。小さな革の板を漆で固め連結して作った「非鉄製小札甲(こざねよろい)」は軽量で動きやすく平安時代の最新鋭の武具。和同開珎(かいちん)の銀銭は当時も貴重で、完全な形は東北ではこの1枚だけ。
奈良時代後半の水洗トイレも大変珍しい。豚肉を食べた渤海(ぼっかい)使節由来の寄生虫の卵があった。渤海は日本に34回使節を派遣し、うち6回は出羽国に到着している。韓国の遊び「ユンノリ」の盤と似た古代のレンガも出土している。
(伊藤志郎)