
19世紀、ヨーロッパに日本美術を伝えるジャポニスムが拡(ひろ)がった時代、アメリカから来た芸術家の中にも、その影響を受けた者がいた。その代表格がジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラーだ。彼は周囲のヨーロッパ全土から集まった画家たちが浮世絵などの影響を受けながら印象派に走る中、一人、日本美術の独自解釈で作品を展開した。
ホイッスラーの主要作品は通常、ニューヨークで見ることができるが、今回は日本美術に縁のあるエコー・ド・パリの所蔵作品の多いオルセー美術館で鑑賞できる。 ホイッスラーの主要収集家はニューヨークの実業家、ヘンリー・フリックで、ホイッスラー作品はフリックの邸宅で、1935年に一般公開された。
2021年から2023年まで作品を所有する研究所が閉鎖されている間に、フリック・コレクションのホイッスラー作品は初めてパリのオルセー美術館にやって来た。「ホイッスラー:フリック・コレクション名品」展(5月8日まで)では、フリック・コレクションの油絵だけでなく、3枚のパステル、12枚のエッチングを含む22点の絵画作品が展示されている。
さらにフランス政府が1891年に購入し、オルセー美術館が所蔵する『灰色と黒のアレンジメント-母の肖像』という傑出したホイッスラー作品も展示されている。筆者個人も同作品のファンで、静寂さの中に漂う空気まで描かれた名作だ。 ホイッスラー自身にとって、フランスはアメリカ、英国と並ぶ人生の重要な足跡を残した国だ。 1834年にマサチューセッツ州で生まれたホイッスラーにとって、1855年からの4年間をパリで絵を学び、画家デビューした重要な国だ。その後、英国に定住し、生涯のほとんどを英国とフランスで過ごした。
フランスの印象派の画家たちとほぼ同世代だが、印象派に属することも、当時、まだ主流だった伝統的具象絵画に留(とど)まることもなく、独自の道を切り開いた。 印象派の画家たちの多くは日本の浮世絵に影響を受け、西洋美術にはなかった輪郭線や鮮やかな色彩、大胆な構図、装飾性が作品に反映されている。しかし、ホイッスラーは彼らに追随することはなかった。
それは、ある意味で日本の近代絵画に脈々と流れる日本の美の本質をホイッスラーは感じ取り、美しく漂う空気まで描き、傑出した作品を残したという言い方もできる。日本人が見れば、どこか共感するたたずまいが作品の隅々に漂っており、その繊細さに静かな感動を覚える。
通常、日本人の近代絵画は西洋絵画に比べ、強さが足りないといわれるが、ホイッスラー作品は静寂と繊細さの中に、圧倒的な存在感が感じられる。日本の落款(らっかん)のような蝶(ちょう)のサインを使ったことでも知られる。コレクターのフリックはホイッスラーの18点の作品(絵画とグラフィックアート)を購入し、コレクションの最重要な位置を占めている。 アメリカ人作家でまとまったコレクションがアメリカで紹介されたこともあり、アメリカでのホイッスラー人気は高い。自動車産業の集積地、米デトロイトの美術館には優れた自画像作品もある。レンブラント、ヴァンダイクと並び、全身自画像作品も傑出している。日欧米を日本の美学が結んでいることが興味深い。(安部雅延)