台湾・台北市の中正紀念堂で観光客の人気を呼んでいた初代総統・蒋介石の銅像前の衛兵交代式が7月、終了した。中国国民党(国民党)の独裁時代に長年総統の地位にあった蒋への個人崇拝と権威崇拝に繋(つな)がらないようにするのが理由だ。その背景には、台湾に現存する統治体の名称としての「中華民国」を形骸化することで、台湾を「本土化」する狙いがある。(宮沢玲衣)
台北市を縦横無尽に走るメトロを降りた人々を出迎えるのは、サッカーコート約35個分、約25万平方㍍もある中正紀念堂の広大な敷地だ。石畳が中央の道に敷き詰められ、緑や季節の花が楽しめる同施設は、観光客のみならず地元の人にとっても憩いの場となっている。
優美な中華風な建物が敷地の両脇に立つ中、中央には青い瓦屋根と白い外壁が美しい中正紀念堂。蒋の本名「蒋中正」から名付けられた。死去した直後の1975年に蒋介石を顕彰するため建設が決定し、80年に完成した。施設内には、台座も合わせて高さ9・8㍍にもなる蒋介石の銅像がある。その前で定時行われる儀仗(ぎじょう)兵の衛兵交代式を見るために毎回人だかりができていた。
中国大陸で生まれ育った蒋は戦後、中国共産党との内戦に敗れ、台湾に逃れた際に「中華民国」政府も移転。27年間もの期間、台湾の土地で中華民国総統を務めた。
もともと台湾に住んでいた人々からすれば、中華民国政府は中国大陸にルーツを持つ国民党が一党独裁を行う「外来政権」に見える部分があった。国民党に反対する人々が集まってできたのが、現在の台湾与党・民主進歩党(民進党)だ。現在でも民進党の綱領には「台湾共和国の建設」と記載されている。
初の直接選挙となった96年の総統選以降、台湾は民進党と国民党の間で何度も政権交代を行ってきた。民主化の過程で、人々の「台湾人意識」が徐々に強まっている背景も後押しして、国民党の偉人ともいえる蒋の銅像前の歩哨と衛兵交代式は廃止された。ただ、観光の観点から、衛兵は1時間ごとに屋外の大通り「民主大道」周辺でパフォーマンスする形となった。
中正紀念堂の存続については、以前から「独裁時代と決別すべきだ」と考える民進党と「歴史を大事にすべきだ」とする国民党の間で対立。民進党が政権を握っていた2007年には一度「台湾民主紀念館」に改名されていたが、国民党に政権が移った09年に「中正紀念堂」に戻っていた。民進党の頼清徳政権によって再度、中正紀念堂は「台湾本土化」を進めつつあると言えるだろう。
「台湾本土化」 台湾を「中国」の一部と見なさず、台湾独自の主体性の重要性を強調する考え。歴史教育、地理教育、文化教育などを台湾を中心とした観点に改めることや、中華民国政府が大陸から持ち込んだ社会制度などを台湾の実情に則したものに改めることを目指す。