台湾立法院「三国志」存在感かすむ小政党 求心力低下、議席失う

12日、台湾の立法委員選挙の応援演説で手を振る 時代力量の王婉諭党主席=時代力量のフェイスブ ックより

台湾総統選挙、立法委員(国会議員に相当=113議席)選挙が13日、投開票され、与党・民進党の頼清徳氏が総統に当選し、立法委員選では第一党が最大野党・国民党(52議席)、第二政党に民進党(51議席)、民衆党は与野党批判の受け皿として8議席を獲得した。民衆党は8年前の若者主導の小政党・時代力量の勢いを吸収し、立法院(国会)で重要法案通過のキャスチングボートを握る立場になっている。(南海十三郎)

今回の台湾ダブル選挙結果の特徴は民進党と国民党の二大政党が持つ岩盤支持層以外の無党派中間層の票、その受け皿となる第三の政党がどれほど票を伸ばすかだった。まさに柯文哲党主席率いる民衆党が若年層を中心とした無党派層の支持を得て予想以上の健闘を見せた。台湾はかつての二大政党ではなく、民衆党の柯氏は次回の総統選にも出馬する意欲を示しており、小政党は議席を失い、台湾版「三国志」の時代に突入したと言える。

第三政党の躍進の萌芽(ほうが)は、親民党、台湾団結連盟が結成された時もあり、時代力量もそのケース。かつての親民党(宋楚瑜党主席)がやや親中寄りだった以外は台湾団結連盟、時代力量はいずれも台湾独立派で、中国共産党としては、早めに分裂・消滅させる工作をする勢力だ。時代力量の議席ゼロは台湾独立勢力を封じたい中国にとって最大の収穫と見て良い。今後は第三政党として伸びしろのある民衆党の懐柔工作に力を注ぐだろう。

時代力量は2014年3月の「ひまわり学生運動」で中国とのサービス貿易協定を反対するデモを行い、300人の学生たちが協定阻止のために立法院を占拠した抗議活動で注目を集め、主導したリーダーらが15年に立ち上げた小政党。16年の立法委員選では5議席を獲得し、香港の雨傘運動のリーダーたちとの交流も深く、若者中心に支持が集まっていた。

前回(20年)の立法委員選で100万票以上を獲得し、立法院で3議席を獲得していたが、今回は小選挙区で3人、比例区で8人が出馬し、得票率は2・57%(前回は7・75%)に留(とど)まり、議席数はゼロとなった。

14年当時、親中融和に傾いていた国民党政権が中国との貿易で台湾が呑(の)み込まれてしまう危機感と台湾を守ろうという情熱にあふれ、若年層だけではなく、幅広い世代でも広がっていた時代力量が、なぜ、衰退し、議席ゼロで敗北したのか。

時代力量が政党として発足した当時、党の顔(2代目党主席)となっていた黄国昌氏が20年の立法委選で比例4位で議席が取れず(比例3位まで当選)、大学の講師や中央研究院に入り、日の目を見ずに党内の求心力が失われたことが大きい。党内が党独自路線を目指すグループと与党・民進党と協力を目指すグループの間で内紛が起こり、黄氏が19年2月に党主席を辞任し、民衆党に鞍(くら)替えし、同党所属の立法委員候補となった。党内外から「台湾独立を志向していた黄氏が対中融和スタンスの柯文哲党主席率いる民衆党に鞍替えして変節したのか」との批判を浴びながらも「柯氏の表向きの対中姿勢パフォーマンスと実際は別」と切り返し、立法委員選では当選を果たしている。

時代力量のもう一つの顔だったミュージシャンで立法委員として当選していた林昶佐(リンチョウサ)・初代党主席は2期連続で立法委員となったが、19年8月に無所属になり、昨年11月、民進党に入党。家族の闘病のために政界引退と引き換えに台北市内の自分の選挙区に民進党候補を応援して当選させている。

落選した時代力量所属の陳椒華立法委員は「党中央が無策だったことを反省すべきだ。とくに黄国昌・元党主席に対する選挙直前の攻撃動画などで多くの党員、支持者が去って行った」と悔しさをにじませる。「総統候補はだれを支持するか、明示せず、黄国昌氏が民衆党に入党したことで信頼基盤が失われた」(台湾誌「今周刊」)との指摘もある。

新竹選挙区で立法委員選に出馬して落選した王婉諭党主席は「黄国昌氏は優柔不断ではないし、時代力量にとって大きな損失。選挙で結果を出せず、責任を取って総辞職して出直す」と話している。

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