台湾海峡は今 有事は起こるか〈1〉 澎湖諸島からの報告 (上)
週末になるとめっきり人通りが減る台北市内のビジネス街。その一角にあるオフィスビルの会議室に、小雨交じりの早朝から老若男女が続々と入ってきた。
ロシアのウクライナ侵攻やペロシ米下院議長の訪台を引き金とする中国の軍事演習などにより、台湾でも危機感を持つ人が増えた。会議室に集まったのは、中国が軍事侵攻してきた事態に備える民間防衛講習の参加者たちだ。
講習を主催しているのは2021年に設立された民間団体「黒熊学院」。台湾最初の半導体企業で世界第3位のシェアを持つ半導体受託製造企業、聯華電子(UMC)の創業者、曹興誠氏が昨年9月、台湾の防衛強化に30億台湾㌦(約130億円)の私財を提供すると表明して大きな注目を集めたが、その資金の一部が講習の運営に充てられている。
黒熊学院の広報担当者は「ほぼ毎週末開かれる講座の参加枠は募集を始めると数日で埋まる」と話した。3年間で地域防衛に積極的に協力する民間人「黒熊勇士」を300万人育成することが目標だ。20~40代が中心だが、中学生から70歳代まで幅広い世代が講習に参加しているという。
筆者が取材した週末の講習では、参加者40人のうち約半分は女性だった。国内外から複数のメディアが取材に来ており、同学院の取り組みが社会的関心を集めていることをうかがわせた。
「止血帯はきちんと使えば、腕がちぎれても勢いよく出てくる血も完全に止めることができる」
午後に行われた救急救命の講座では、止血帯の使い方や負傷者の搬送方法などの指導が行われ、講師からはこんな露骨な表現も飛び出した。実際に戦争になれば、銃で撃たれて手足を失う事態も起こり得る。そのような恐るべき状況でも生き延びるには、最悪を想定した準備が欠かせないことを参加者たちは実践的な訓練を通じて学んでいく。
午前の講座では、黒熊学院の発起人の一人である沈伯洋・台北大学副教授が、サイバー戦やフェイクニュースの拡散を通じて台湾社会の分断を図る中国の「認知戦」の実態について解説。沈氏は「平時に行われる工作は公式情報に疑念を抱かせ、潜在的に政府への不信を抱かせることだ」と説明し、昨年11月の統一地方選で中国当局が拡散した可能性があるうわさの事例を挙げると、会場から驚きの反応が起こった。
エンジニアの王さん(32)は、有事の際に家族と自分を守りたいと思い、講習に参加したという。「中国が台湾の表現の自由を利用し、自分たちの社会や政治への考え方に大きく影響を与えていたことが本当に衝撃的だった」とし、「台湾を守るために自分に何ができるのか知りたい」と厳しい表情で語った。
台北市内を歩いていると、雑然と並ぶ看板に紛れて、建物の柱に防空施設を示す案内が貼られているのを見掛けた。ミサイル攻撃などを受けた場合、緊急避難できるようになっている。台湾内政部警政署の資料によると、台湾には人口の3倍以上を収容できる防空施設があるという。防空施設がほとんど普及してない日本とは大違いであり、民間防衛の観点では「台湾より日本の方が危ない」(元陸上自衛隊幹部)との声も聞かれる。
常に中国の脅威と隣り合わせの台湾だが、台湾安保協会の李明峻副理事長によると、「2000年代以降は自力で台湾を守る意識が薄れ、米国頼み、他力本願になっていた」という。だが、民間防衛講習に市民が殺到している状況は、有事が起こり得る現実を直視する台湾人が増え、自主防衛意識が広がり始めたことを物語っている。
(台北にて、村松澄恵)