台湾海峡は今 有事は起こるか〈1〉 澎湖諸島からの報告 (上)
建物の中に足を踏み入れると、聞き慣れた音楽が流れていた。「軍艦マーチ」である。どこか懐かしい気分になった。
ここは台湾南部・高雄市にある台湾最大の軍港、海軍左営基地。その一角にある「左営軍区故事館」は、基地の歴史を伝える博物館だ。手前の敷地には、旧日本海軍の巨大ないかりが基地のシンボルとして堂々と鎮座している。
博物館の受付女性に軍艦マーチを流す理由を尋ねると、「これは台湾の軍歌よ。日本の曲を流すわけないでしょ」との答えが返ってきた。日本の曲であることを知らないほど、台湾でも定着しているようだ。
小さな漁村にすぎなかった左営に軍港が建設されたのは日本統治時代。1943年に澎湖諸島の馬公にあった警備府が移されるなど、南方展開の拠点となる。左営基地は現在、中国と対峙(たいじ)する台湾海軍の最重要拠点となっている。
中国による台湾侵攻のシナリオはさまざま考えられるが、最悪のケースは何と言っても、中国が着上陸侵攻に踏み切ることだ。中国軍が大規模な陸上兵力を送り込む事態が起きれば、台湾は現在のウクライナのように甚大な被害を受けることになる。
ただ、中国がこれを確実に成功させるには、台湾の3~5倍の兵力を投入する必要があるというのが多くの軍事専門家の見方だ。台湾は予備役などを含めると有事に45万人以上を動員できると言われており、単純計算で中国は135万~225万人を送り込まなければならない。これだけの兵力を台湾海峡を越えて上陸させるのは超高難度の作戦であり、実行できないとの指摘も少なくない。
だが、米国防総省が昨年11月に公表した中国軍事力年次報告書は、中国海軍が2021年から2年足らずで最新鋭の075型ヘリ搭載強襲揚陸艦(LHA)を3隻加えたほか、上陸作戦を想定した演習を大幅に増やしていることを指摘。また、中国は16年に制定した「国防交通法」に基づき、有事では民間の貨物船を動員できるため、「中国軍は十分な揚陸能力を保持していると評価している可能性がある」と分析した。以前の同報告書は着上陸侵攻に懐疑的だったが、近年は実際に起こり得るシナリオだというトーンに変わってきている。
ただし、上陸作戦に適した海岸は台湾に14カ所しかなく、しかもどれも小規模だ。このため、米シンクタンク「プロジェクト2049」のイアン・イーストン上級部長は、21年に発表した報告書で、中国が大規模兵力を上陸させるには台湾の港湾施設を占拠する必要があり、港湾施設に近いビーチから上陸してくるとの予想を示した。
イーストン氏は台湾にある10カ所の港湾の立地条件などを比較したところ、中国が狙う可能性が最も高いのは台中港だという。その次に高いのは、前述の海軍左営基地とそこから南に数㌔離れた台湾最大の港湾・高雄港、そして台北港、台南の安平港だ。
台湾軍の管理下にある左営基地を占拠するのは容易ではない。だが、基地インフラは逆に、「内陸部へ攻め込むための主要上陸地点や作戦基地を作るのに理想的」(イーストン氏)であり、中国が選択肢から完全に除外しているとは考えにくい。
日本統治時代に港湾都市として発展を遂げた高雄。中国はその二つの港湾を台湾侵攻の橋頭堡(きょうとうほ)とすべく虎視眈々(たんたん)と狙っている可能性がある。
(高雄にて、早川俊行)