中国が台湾を軍事侵攻する台湾海峡有事は起こるのか。高まる脅威に直面する台湾の「今」を報告する。
台湾南部の高雄から飛行機でわずか40分。小型プロペラ機から空港に降り立った瞬間、ビューッという猛烈な風が襲ってきた。普通に立っているのも困難なほどだ。
ここは台湾本島の西方約50キロに位置する澎湖諸島。澎湖県のホームページによると、大小合わせて90の島々から成り、複雑な海岸線の総延長は約450キロにも及ぶ。
日本人には馴染(なじ)みが薄いが、台湾では屈指のビーチリゾートとして知られる。ただ、10月ごろから約半年間は強風が四六時中吹くため、観光客はめっきり減る。これだけ風が強いと生活も大変ではと心配になるが、島民からは「冬の澎湖ではこれが普通だよ」と笑われてしまった。
昨年8月のペロシ米下院議長訪台を機に、中国軍機による台湾海峡の「中間線」越えが急増した。中間線は事実上の中台境界線と見なされ、中国軍機がこれを越えることは少なかった。
ところが、台湾国防部のデータによると、中国軍機の中間線越えは昨年8月だけで延べ約300機に達した。中国は中間線の有名無実化という「ニューノーマル(新たな常態)を確立しようとしている」(オースティン米国防長官)とみられている。
こうした中国の軍事的威圧にさらされているのが、地理的に中間線に最も近いここ澎湖諸島だ。島民に脅威を感じるかと聞いて回ると、「何も感じない」「慣れてしまった」という答えがほとんどだった。平穏な島の暮らしには直接的な影響は出ていないようだ。
一方で、澎湖諸島を取材中、何度も耳にしたのが以下の言葉である。
「澎湖が台湾防衛の第一線だ」――。
台湾防衛の最前線と言えば、中国大陸から数キロの距離にある金門島や馬祖島を思い浮かべる。だが、両島は逆に中国に近過ぎるため、戦略的重要性は中国から百数十キロ離れた澎湖諸島の方がずっと高いというのが島民の共通認識だ。
ミサイルやドローンなど軍事技術が進歩し、戦争の手法も大きく変化した現在、中国が実際に澎湖諸島に攻め込むかどうかは専門家の間でも意見が分かれる。それでも台湾本島から出城のように台湾海峡に突き出た澎湖諸島の価値が変わることはない。
本紙の単独インタビューに応じた陳光復・澎湖県長(知事に相当、67)は、澎湖は台湾のみならず東アジア全体にとっても死活的に重要な戦略的要衝との見解を示した。
「台湾海峡は日本や韓国など東アジア諸国にとって重要な航路だ。澎湖を守ることは台湾のみならず、日韓のサプライチェーンを守ることにつながる。安倍晋三元首相は『台湾有事は日本有事』と語ったが、『澎湖有事は日本有事』と言えるだろう」
高い戦略的価値を持つ離島という意味で、澎湖は沖縄と共通点がある。一方で、決定的な相違点もある。それは有事に対する危機意識のギャップだ。
反米・反基地運動の先頭に立つ沖縄県知事とは対照的に、陳氏は「戦時に『民間指揮官』の立場になるのが県長だ」と強調し、住民の保護など有事への備えを率先して進める意向を示した。また、軍事的脅迫を強める中国を「まるで暴力団」と非難し、圧力には屈しないと断言した。
ウクライナ戦争が浮き彫りにしたように、国家の生存を左右するのはそこに住む人々の自衛の意識だ。澎湖諸島で強風に吹き付けられながら痛感したのは、有事への備えが遅れる日本の現実だった。(台湾澎湖県馬公にて、早川俊行)