トップ国際韓国戒厳事態から1年、今は包容・協力政治へ進む時【韓国紙】

戒厳事態から1年、今は包容・協力政治へ進む時【韓国紙】

韓国紙セゲイルボ「社説」

尹錫悦大統領(当時)が昨年12月3日、突然非常戒厳を発令した(セゲイルボより)

 12・3非常戒厳事態1年が2日後に近づいた。昨年12月3日、尹錫悦大統領(当時)の唐突な戒厳宣言は1987年以来、国際社会で「民主化の模範」として通ってきた韓国の自負心に拭えない汚点を残した。同盟の米国をはじめとする自由陣営では、「韓国がわれわれの知っていたその民主主義国家なのか」という懐疑論が提起された。国の品格がどん底に落ちた韓国は、外交的に徹底的に孤立しただけでなく、経済的信頼度も地に落ちる一歩手前まで行った。平凡な市民が発揮した「K民主主義」の底力がなかったならば、今ごろ韓国が果たしてどのような姿になっていたのか、見当もつかない。

 尹前大統領は戒厳を宣言しながら、「恥知らずな従北反国家勢力を一挙に撲滅し、自由憲政秩序を守るために」と叫んだ。当時、大統領室など政府は、予算案の審議・処理を巡って「与小野大」国会と事あるごとに争っていた。大統領制国家において与小野大立法府の出現とそれに伴う政局の膠着(こうちゃく)はよくあることであり、韓国も例外ではあり得ない。もちろん巨大野党が監査院長やソウル中央地検検事長の弾劾訴追を強行したことは過度な側面がなくはない。とはいっても尹大統領のように野党を直ちに「反国家勢力」と規定し、深夜に軍隊まで動員して武力で野党優位の国会を制圧しようとした指導者はいなかった。尹氏は違憲的な戒厳発令を通じて彼が守ると言った「自由憲政秩序」を自ら崩してしまった。

 その日の夜、TVを見ていて到底信じられない現実に耐えられず、ヨイドの国会議事堂に駆け付けた人々の勇気が危機に陥ったこの国を救った。何が本当の主権者の命令なのか悟った与野党の国会議員190人は戒厳解除要求の決議案を満場一致で可決することで民意に応えた。結局、尹氏は戒厳宣言6時間後の翌日午前、国民の前に跪(ひざまず)くほかなかった。ただ憲法と民主主義に対する固い信念だけで誰もが一つになって、銃刀で武装した戒厳軍の前に立ちはだかった市民に重ねて敬意を表す。

 このように「K民主主義」の回復力が全世界を驚かせたが、戒厳事態から1年たっても韓国政治が与野党の政争に阻まれ、統合の道に進めないことは誠に残念だ。尹氏の弾劾・罷免後に行われた大統領選挙で李在明氏が当選し、政権に就いた共に民主党の責任が大きい。与党で院内過半数党として野党を包容し、協力政治(協治)の美徳を発揮して政治改革に向って進むどころか、戒厳事態から1年を迎え「内乱攻撃」にだけ熱を上げているのではないか。特に、国民の力を狙って「違憲政党解散審判」を云々(うんぬん)して脅迫する行動には失望感を禁じ得ない。

 国民の力は尹氏の戒厳宣言当時、与党でありながらも、これを防げなかった無能を痛烈に反省し、国民の前に謝罪しなければならない。同時に依然「戒厳宣言は正当だった」という詭弁(きべん)で一貫する尹氏や側近勢力と手を切る必要がある。現在、政府・与党の相次ぐ失政でも国民の力の支持率がなかなか上がらないのは「あの集団は果たして民主主義を信奉する政党だろうか」という国民の疑念のためだということが分からないのか。戒厳事態1年を迎えて国民の力が本当の保守政党、政権担当可能な政党に生まれ変わることを重ねて求める。(12月1日付)

「セゲイルボ」

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