【ポイント解説】両班と奴婢の友情?
文禄の役(1592年)当時、王宮である景福宮は火災で焼失した。説明文では「兵火にあって全焼し」とあり、まるで豊臣軍が燃やしたように読める。だが実際は朝鮮の民衆が、真っ先に逃げた王に怒って王宮に乱入し略奪して火を付けたのだ。
燃やした理由は怒りだけではない。「奴婢(ぬひ)名簿」を燃やすことが最大の目的だった。当時、朝鮮には家畜のように売買された奴隷の身分があり、多くの民がこれに属し、主人の所有物として人間扱いされていなかった。名簿に記されている以上、その身分から抜け出すことはできなかった。そのために燃やそうとしたのである。
奴婢は朝鮮の「恨(ハン)」感情を語る上で欠かすことのできないキーワードだ。『戦と乱』がヒットするのも、この「恨」を説くからだと想像できる。両班の息子と奴婢が「友情」を結ぶが、家と国のために引き裂かれて戦う…。
陰謀があり誤解があり悲哀があるという韓国ドラマのテンプレを踏襲している。描かれる「身分を超えた友情と宿命」は現代人の感覚でみたファンタジーにすぎない。
それにしても、民の犠牲を何とも思わない悪辣(あくらつ)な王・宣祖や両班たちを、今の日本に融和的な政策を取る政治家に擬え、「謀反」を唆(そそのか)すとは、あまりにも左派的な視点だ。北朝鮮や韓国の左派が言う「親日派を一掃して、正しい朝鮮を立てよう」という主張と脈が通じる。
実際、解放後、日本統治時代に教育を受けたテクノクラートなしでは国家は運営できなかった。彼らを「親日派」として一掃すればダム一つ、変電所一つ、動かすことができなかったのだ。
問題は親日であると否とにかかわらず、激しい身分制そのものにあった。それは朝鮮が自ら取った制度である。それを親日に絡めて描くのは、だからファンタジーにすぎない。(岩崎 哲)





