
トランプ米大統領は19日、ロシアのプーチン大統領と2時間余りの電話会談後、欧州のメルツ独首相、マクロン仏大統領、スターマー英首相らに会談の内容を報告し、「ロシアは現時点では停戦交渉を願っていない」と断言する一方、「ロシアとウクライナ間の協議がバチカンで行われることになるだろう」と報告した。バチカンはロシアとウクライナ間の協議を主催することに原則的に同意しているという。
トランプ氏の報告内容はマクロン大統領やメルツ首相にとっては驚きではなかった。ロシアが無条件で停戦交渉に応じるとは考えてはいなかったからだ。欧州連合(EU)は20日、対露追加制裁を決めている。
ちなみに、トランプ氏は18日、プーチン氏との電話会談前、欧州の指導者たちに、「プーチン氏が無条件で停戦交渉に応じなければ、厳しい制裁を下す考えだ」と述べていたが、プーチン氏との会談後、制裁話は飛び出してこなかった。それどころか「制裁は交渉する上で障害となる」と説明し、前言を翻している。そしてソーシャルメディア上で「プーチン氏は平和を願っていない。ウクライナを奪いたいだけだ」と単刀直入に指摘し、「ウクライナ戦争は私が始めた戦争ではない」と述べ、ウクライナ戦争の仲介役から降りることすら示唆している。
ここではバチカンがロシアとウクライナ間の調停役を演じることができるか、というテーマに絞って考えたい。ドイツ民間放送ニュース専門局ntvは「バチカンを巻き込むための巧妙な試みに過ぎない」と懐疑的に報じている。そして「会談がうまくいけば、その功績はトランプ大統領とプーチン大統領に帰せられ、もし失敗すれば、バチカンが責められることになる」と指摘するイタリアの教会史家アルベルト・メロー二氏のコメントを掲載している。
ロシアとウクライナ間の仲介役は前教皇フランシスコが既に提案していたもので、新しくはない。前教皇は自身の最側近、イタリア司教会議議長,マッテオ・ズッピ枢機卿をウクライナ和平調停担当特使としてキーウとモスクワに派遣している。新教皇レオ14世も仲介役を演じることには異存はないはずだ。教皇就任直後、「世界に平和を」と語りかけた教皇にとって、ウクライナとロシア間の紛争調停は願ってもない役割かもしれない。
それではバチカンの調停役の成功率はどうか。メローニ氏は「バチカンの外交がトランプ大統領がゼレンスキー大統領に押し付けたい合意のバックストップとして機能する可能性は低い。プーチン大統領は、交渉開始を可能にする停戦を否定し、代わりに停戦達成に向けた条件交渉を提案しているのだ。その内容は教皇と西側が要求する公正かつ永続的な平和ではないことだ」と説明している。
トルコのイスタンブールで16日に開催されたロシアとウクライナ間の直接協議では、ロシア側は「ロシア軍が占領したウクライナ東・南部4州にわたる地域からのウクライナ軍撤退」を要求。反発したウクライナ側に対し、「さらに他の地域も軍事制圧すると脅迫した」と伝えられている。
プーチン氏はトランプ氏との電話会談の中では、ウクライナとの間で和平に向けた覚書を交わす用意があると言及しただけだ。トランプ氏は停戦条件などについては当事者間で協議することを要求し、会談を終えている。
ところで、ウクライナもロシアもその主要宗派はキリスト教の正教会に属する。その意味で、バチカンが仲介できる共通の宗教的な基盤はある。ただし、戦争勃発後、ウクライナ正教会はプーチン氏の戦争を支援するロシア正教の管轄から離脱している。その直接の原因はロシア正教会最高指導者モスクワ総主教キリル1世にある。
このコラム欄の「レオ14世はキリル1世を説得できるか」で書いたが、キリル1世はプーチン氏の戦争を全面的に支援している宗教指導者だ。キリル1世はプーチン大統領のウクライナ戦争を「形而上学的な闘争」と位置づけ、ロシア側を「善」として退廃文化の欧米側を「悪」とし、「善の悪への戦い」と解説してきた。キリル総主教は2009年にモスクワ総主教に就任して以来、一貫してプーチン氏を支持してきた。キリル1世はウクライナとロシアが教会法に基づいて連携していると主張し、ウクライナの首都キーウは“エルサレム”だという。「ロシア正教会はそこから誕生したのだから、その歴史的、精神的繋がりを捨て去ることはできない」と主張し、ロシアの敵対者を「悪の勢力」と呼び、ロシア兵士に闘うように呼び掛けてきた張本人だ。
そのキリル1世がバチカンでのロシアとウクライナ間の停戦交渉を支持するだろうか。プーチン氏はウクライナを奪うまで真の停戦に応じる考えはない。プーチン氏の精神的支持者キリル1世も同様だろう。そのうえ、レオ14世とキリル1世の首脳会談が実現するかも目下、不確かだ。
そのような状況下で、両国間の停戦交渉がバチカンで開催されたとしても、バチカンは調停役を演じることができるだろうか。せいぜい、バチカン教皇庁の美しい書割を協議参加者に提供するだけに終わるのではないか。
参考までに、前教皇フランシスコはウクライナに対し、「白旗」を掲げてロシアと戦争の終結を交渉する勇気を持つよう呼び掛けたことがある。ゼレンスキー氏は前教皇との会談直後(2023年5月13日)、「教皇の調停は不必要だ」と述べたことがある。