
ロシアのプーチン大統領は2日、第2次世界大戦(独ソ戦)での最大の激戦地であり、ナチスドイツに対する反攻への転換点となった「スターリングラード攻防戦」の舞台ボルゴグラードを訪問し、「祖国防衛」を国民に訴えた。同時に欧米諸国によるウクライナへの戦車供与を非難し、反攻に転じることを強調した。(繁田 善成)
ドイツ軍に市街を占領されながらもソ連軍が反攻に転じ、双方合わせて約200万人の死傷者を出しながら勝利を収め、ドイツ軍を押し返す転換点となった戦いがスターリングラード攻防戦である。この街はロシア革命後の1925年に、スターリンにちなんでスターリングラードに改称されたが、フルシチョフのスターリン批判の流れを受け1961年、ボルガ川の街を意味するボルゴグラードに改称された.
プーチン大統領は2日、このボルゴグラードを訪れ、スターリングラード攻防戦の戦勝80周年を祝う記念式典に参加した。
その準備は慌ただしいものだった。ボルゴグラード州当局・市当局は野良犬を捕獲して一掃し、大統領の車列が通過する通りに面した住民に、窓を開けずに自宅にとどまるよう指示した。人々が消えた通りを石けんと水で洗い流し、目に見える建物のペンキを急いで塗り替えた。それでも見栄えの悪い建物はバナーや宣伝ポスターで隠した。
しかし、訪問準備で最も注目すべきことは、戦勝記念公園「ママエフの丘」にある戦勝博物館の敷地に、スターリン像を建て、プーチン氏の車列がボルゴグラードに入る地点にある市名の標識を「スターリングラード」に置き換えたことだ。
ロシアのステパシン元首相が1月末、ボルゴグラードをスターリングラードに改名するよう提案したことを受けた動きである。
もっとも、この提案に対するボルゴグラード市民の受けは悪く、世論調査では67%が反対した。その理由は「改名に無駄なコストが掛かるから」というものだったが、市民の反発を懸念した州当局・市当局は、1日だけの「改名」を行うこととしたのだ。
プーチン氏は「ママエフの丘」で献花した後、演説を行った。ロシアは「欧州全体」と戦っており、「われわれは再びドイツの戦車の脅威に直面している」と述べ、欧米諸国によるウクライナへの戦車供与・軍事支援を強く非難した。
一方で、「ドイツを含む欧州諸国をロシアとの新たな戦争に引きずり込み、無責任にこれを既成事実として宣言する人々、そして戦場でロシアを打ち負かすことを期待する人々は、ロシアとの現代の戦争がいかなるものなのか理解していない。ロシアとの戦いは彼らにとって全く異なるものとなる」と強調した。
そして、「われわれの先には自らのスターリングラード」がある、すなわち反攻に転じるということを繰り返し述べ、「祖国防衛」を国民に訴えたのだ。
スターリングラード攻防戦と、その勝利を改めて示すことで、ロシアは欧州全体という「侵略者」と戦う被害者であると位置付け、必ずや反攻に転じるだろうと呼び掛けたのだ。自らがウクライナ侵攻を開始したことは忘れてしまったようだ。
一方でプーチン氏は2月1日、住宅インフラの復旧に関する会議に出席し、次のように述べた。
「(ウクライナに隣接する・もしくはウクライナから奪った)クリミア、ベルゴロド、ブリャンスク、クルスクの住民を支援するという非常に重要な問題に専念する」「国境地帯にある彼らの家やアパートはネオナチ陣営の砲撃により破壊、もしくは損傷した」「最優先課題は砲撃の可能性そのものを排除することであり、これは軍の仕事だ」
プーチン氏はウクライナ侵攻から手を引く考えはないようだ。欧米からの戦車などの供与はまだ初期段階であり、ウクライナ側の準備が整う前に攻勢に出たいのだろう。ウクライナ侵攻1周年を迎える2月24日が近づいている。プーチン氏にとっては、この「記念すべき日」に何らかの勝利を得ることが重要だろう。状況は予断を許さない。