トップ国際北米家族の再生と宗教思想 聖書基に使命燃やす米国 日本は理念欠き社会統合に懸念 【論壇時評】

家族の再生と宗教思想 聖書基に使命燃やす米国 日本は理念欠き社会統合に懸念 【論壇時評】

 ドナルド・トランプ氏のホワイトハウス返り咲きに貢献したとされる米国の保守活動家チャーリー・カーク氏(31)が今月10日(現地時間)、ユタ州で銃撃され死亡した。この報に接した時、筆者は衝撃を受けるとともに後悔の念が湧いた。

 参政党に招かれた同氏の講演会(東京)がその4日前に行われたが、参加しないか、と知人から誘いを受けていた。予定が入っていたので断ったが、同氏の話は一度生で聞いてみたいと思っていたのだ。

 ただ、彼の死後、妻のエリカ・カーク氏のメッセージを動画を通じて聞くことができた。印象的だったので少し長いが紹介しよう。

 「チャーリーはいつも、結婚と家庭に対する神の御心は本当に驚くべきものだと信じてきた……そして繰り返し、若者たちにこう語っていた。未来の伴侶を見つけ、妻や夫となり、親となりなさい、と。なぜなら、彼が味わった、そして今も持ち続けているものを、皆さんにも経験してほしかったからだ。家族を築くことから生まれる愛と喜びによって、この地上に天国をもたらしてほしいと願っていたのである」

 さらに、カーク氏は「自分が政治の世界に出ることがあれば、最優先するのは米国の家庭をよみがえらせることだ」と言っていたとして、彼のお気に入りの聖句を紹介した。「夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさい」(新約聖書エペソ人の手紙第5章25節)

 このエピソードを聞くと、18歳で左傾化した大学と若者の価値観を変えるために保守系団体「ターニング・ポイントUSA」を設立したカーク氏は、キリスト教福音派の篤実な信者であり、その言動や活動は聖書と信仰に支えられていたことが分かる。

 欧米は個人主義の国で、それはキリスト教との関わりの中で説明されることが多い。神との関係は、自立した個人の良心によって築かれるという考え方だ。裏を返せば、神との関係が切れた個人主義は放縦に陥るが、福音派はその混乱からの立ち直りを考えていることが分かる。事ほどさように、米国の国内政治はもとより外交においても、キリスト教を抜きに理解することはできないのである。

 さらには中東紛争、ウクライナ戦争、そして広がる反グローバリズムなど、今、世界で起きているさまざまな問題についても宗教への理解がなければ、その真相に迫ることは難しいのである。家族の崩壊とグローバリズムは日本も抱える課題だ。カーク氏の講演は示唆に富むものになったであろうことは間違いない。

 月刊誌10月号では、「中央公論」「世界動乱を読み解く 宗教入門」を特集したのをはじめ、米国のキリスト教福音派の動向についての論考が目立つ。時宜を得た企画で、こうした論考によって宗教に対する関心が高いとは言えない日本人に、特に米国人の信仰についての知識が得られることを期待したい。

 筆者とて、キリスト教の知識が深いとは言えないが、キリスト教には聖書を理性的、知的に時代に合わせて解釈するリベラル派がある一方で、「聖霊体験」を重視する福音派があることぐらいは、本を読んで知っている(鈴木崇巨著『福音派とは何か?』など)。

 ただ、福音派と言ってもその定義は曖昧で、だから宗教はややこしいとも言えるが、東京女子大学学長の森本あんり氏は「中央公論」の論考「キリスト教『福音派』の変容 21世紀の不穏なアメリカ」で、次のように福音派を定義する。

 「ボーンアゲイン」という言葉を提示しながら、「いわゆる『福音派』と呼ばれる人びとの大切な自己定義で、『再び生まれる』とは『回心を体験して真のクリスチャンになった』という意味である」

 聖霊体験と回心体験の二つの定義が出てきた。「聖霊」は目に見えないから信じるしかないが、人の心に外から働き掛ける存在で、その体験が聖霊体験。一方、回心体験は自分自身の心の中で罪を自覚し神に立ち返る信仰体験というらしい。

 聖霊が回心に導くとも言われるが、そう言われても、体験した者でしか実感できないから、信者でない人間には理解は難しい。聖霊・回心のいずれの体験も個人的な内的実感だから心に与える影響は鮮烈で、それによって信仰が深まる。これが政治的活動に強烈に取り組むキリスト教保守派と重なるから、政治への影響は大きいのである。

 森本氏によれば、元来、福音派は政治とはあまり関係を持たないことを基本姿勢としていた。しかし、米国がリベラル化し、公立学校の祈祷(きとう)や聖書朗読の禁止(1962年)、妊娠中絶の合法化(73年)など、米国の根幹を成すキリスト教価値観が揺さぶられたことによって、政治化し「宗教右派」と呼ばれるようになる。

 では、キリスト教右派でも宗教系政党でもない参政党がカーク氏を招いたのはなぜか。両者に共通するのは反グローバリズムと家族の再生だ。同党が先の参院選で「日本人ファースト」を掲げて訴えたのは反グローバリズムだったし、カーク氏はグローバリズムに警鐘を鳴らし続けてきた。

 ここで注目したいのは「かつての『福音派』は、今日急速に『キリスト教ナショナリズム』に置き換わりつつある」という森本氏の指摘だ。キリスト教とナショナリズムが結び付いた背景には、リベラル化の進んだ米国がニヒリズムに陥ったことに対する反発がある。

 だから、「保守派のキリスト教徒にとり、今や救済されるべきは個人ではなく国家」なのであって、キリスト教徒には「この世の法規や憲法の制約を乗り越えて」でもその〝ミッション〟を果たすことが課せられているという、彼らの使命感の強さは日本人の理解を超えている。ただ、こうした考え方は福音派だけでなく、篤実なキリスト教信者とは言い難いトランプ大統領にもあることは覚えておいた方がいい。

 家族の再生についてはどうか。冒頭で紹介したように、福音派には聖句を根拠に、結婚し家族を築くことが「地上に天国をもたらす」ことができるという明確なビジョンがある。

 LGBT理解増進法や選択的夫婦別姓に反対する参政党が伝統的な家族を志向しているのは確かだ。法政大学法学部教授の河野有理氏は「現在の参政党の主張などを見る限りは、従来の『家』や『家族』について否定的な存在になるとは思えません。むしろ、自民党よりもその点について保守的なスタンスを打ち出すことに可能性を見出しているように見えます」と述べる。そして、家や家族の価値を無視するような勢力が選ばれる時代が来れば、それこそ日本の政治と社会は「ターニングポイントを迎える」という(「自民党の命脈はいつ尽きていたか」「Voice」)。

 だが、参政党にはキリスト教保守派のように、なぜ家族が大切なのかという明確な理念が見当たらない。家族について保守的スタンスを取るのはいいが、評論家の與那覇潤(よなはじゅん)氏のように「彼らにも『家族エゴイズム』を超えるビジョンがあるかは疑問だ」という懸念も出ている(「参政党躍進はリベラルの自滅だ」「正論」)。ビジョンがなければ、社会の統合は難しい。

 よく日本人の精神構造は2階建ての家に例えられる。1階は儒教的な家族主義で、2階がキリスト教的個人主義でその間を行ったり来たり。儒教学者の加地伸行氏はその著書『間違いだらけの家族観』で「儒教的家族主義とキリスト教的個人主義の衝突」ということを指摘しているが、個人主義はもともと表面的に受け入れただけだし、家族主義も戦後80年の中で崩壊同然である。今は、両者を調和させるビジョンが求められているが、米国のキリスト教のように政治に大きな影響力を持つ宗教の存在なくして、そのビジョンの提示は難しいだろう。

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