トップ国際北米【連載】脅かされる信教の自由㊾ 第7部 世界の中の日本の信教  「政教分離」の真意は自由擁護 ジェファソンの書簡

【連載】脅かされる信教の自由㊾ 第7部 世界の中の日本の信教  「政教分離」の真意は自由擁護 ジェファソンの書簡

米ワシントン、ジェファソン記念館の トーマス・ジェファソン像(UPI)

米国の首都ワシントンから南西に2時間余り車を走らせると、バージニア州中部の緑豊かな学園都市シャーロッツビルに着く。その郊外にある第3代大統領トーマス・ジェファソンの邸宅「モンティチェロ」は、世界遺産に登録され、国内外から多くの観光客が訪れている。

敷地内には美しい庭園が広がり、その一角にジェファソンが眠る墓がある。最も偉大な「建国の父」の一人として数え切れないほどの業績を残したジェファソンだが、墓石には本人が誇りにする業績が三つだけ刻まれている。

一つ目が独立宣言の起草、二つ目がバージニア信教自由法の起草、三つ目がバージニア大学の設立だ。大統領を務めたことよりも、信教の自由を守る法律の制定に貢献したことを誇りに思っていたことは実に興味深い。

米国では長年、キリスト教の伝統や価値観を守ろうとする保守派と、これを左翼思想に置き換えようとするリベラル派による「文化戦争」が続いている。リベラル派は「政教分離」の原則を根拠に、法廷闘争などを通じてキリスト教的要素を社会から削り取る試みを進めてきた。

政教分離論争で必ず登場するのが、ジェファソンが1802年にコネティカット州のダンベリー・バプテスト連盟に送った書簡だ。この中で「教会と国家との間に分離の壁を築いた」と書いたことで、現代ではジェファソンは厳格な政教分離主義者と認知されている。

ジェファソンが「分離の壁」という言葉を用いたのは、この私的な書簡1回だけだ。にもかかわらず、政教分離原則の根拠として裁判の判決に引用されるなど、まるで法律のように扱われている。

だが、書簡全文を読めば分かるが、ジェファソンは「分離の壁」を公共の場から宗教を排除しなければならないという趣旨で言ったわけではない。書簡を送ったバプテスト派は当時、英国国教会が主流のバージニア州などで弾圧を受けており、彼らの信教の自由を全面的に擁護するという意味で書いたのだ。つまり、「分離の壁」の真意は、宗教的マイノリティーを国家から擁護することにあった。

敬虔(けいけん)なキリスト教徒だった初代大統領ジョージ・ワシントンとは対照的に、ジェファソンは建国の指導者の中で最も世俗的だったといわれている。神は最初に自然法則を定めただけで人格的存在ではないとする理神論者で、イエスの処女降誕や奇跡・復活を作り話と見なしていた。それでもジェファソンは「救い主」としてではなく「道徳の模範」としてのイエスの教えには共鳴していた。

ジェファソンは1801年から8年間の大統領任期中、公的施設である連邦議会下院で行われていた日曜礼拝に熱心に参加した。最初に出席したのは、「分離の壁」の書簡を書いた2日後である。また、「今まで宗教なしで存在、統治された国家はないし、統治することはできない。私はこの国の大統領として手本を示して支持する姿勢を見せなければならない」と語ったと伝えられている。

米建国の歴史から、政教分離は国家から信教の自由を擁護するための原則であることが分かる。だが、日本では、宗教は政治に関与してはならないという意味で政教分離の原則が議論される傾向が強い。

世界平和統一家庭連合(家庭連合、旧統一教会)の関連団体が政治に影響を及ぼそうとしたことが厳しく批判される背後には、政教分離原則の誤った解釈があることは否定できない。

(信教の自由取材班)

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