米国の民主主義が揺らいでいる。選挙を公正に行うことは民主主義の根幹だが、今年11月に控える大統領選は、党派対立の激化で権力のためなら何をしても構わないという危険な風潮が蔓延(まんえん)し、選挙戦の行方に暗い影を落としている。今回の大統領選の「異常さ」を報告する。
「今の米国はまるでバナナ共和国だ」――。
米国内でこんな嘆き声が渦巻いている。野党共和党のトランプ前大統領をさまざまな裁判にかけ、返り咲きを阻止しようとする与党民主党のやり方は、権力を乱用して政敵を選挙から排除する途上国やロシアなどと重なって映るからだ。
トランプ氏は先月、所有する不動産価値を偽り、不当な利益を得たとして提訴された民事訴訟で、ニューヨーク州地裁から罰金約3億5490万㌦を言い渡された。これに判決までの利息として約9860万㌦が加算され、日本円で計約667億円の支払いが求められている。
トランプ氏が銀行から融資を受ける際、担保となる不動産の価値を水増ししたことは事実だが、返済は滞りなく行われ、銀行側も利益を得た。つまり、被害者が存在しないのに巨額の罰金が科されたのである。
「万引き犯をやっつけるのに、ヘルファイア空対地ミサイルを使うようなものだ」。ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、トランプ氏に対する行き過ぎた訴訟・判決を厳しく非難した。
この民事訴訟を起こしたニューヨーク州のレティシア・ジェームズ司法長官(民主党)は、2018年にトランプ氏を裁くことを公約に掲げて当選した人物。トランプ氏を破滅に追い込む政治的動機に基づく訴訟であることは明らかだが、判事も民主党でジェームズ氏の訴えを全面的に受け入れた。
トランプ氏は民事だけでなく、20年大統領選の結果を覆そうとしたことや機密文書の違法な持ち出し、不倫口止め料に関するビジネス記録改竄(かいざん)など四つの刑事事件、計91の罪で訴追されている。訴追したのは、バイデン政権が任命した特別検察官と民主党の2人の地方検事長である。
大統領経験者に対する刑事訴追は前例がなく、極めて慎重な対応が求められる。だが、トランプ氏を民主主義の脅威と見なす民主党内では、同氏を排除するためなら何をしても構わないという風潮が蔓延し、これが訴追のハードルを引き下げた印象は否めない。
民主党にとって、選挙前にトランプ氏を有罪に追い込むのがベストシナリオだが、そこまで行かなかったとしても、膨大な費用がかかる裁判で選挙資金を枯渇させたいと考えている可能性が高い。実際、トランプ氏の資金は7月ごろに底を突くとの報道もある。
トランプ氏に対する民主党の「何でもあり」は、今に始まったことではない。民主党陣営による捏造(ねつぞう)だったことが判明しているロシア疑惑の追及や弾劾訴追など、在任中からトランプ氏を排除しようとしてきた。
裁判ラッシュもこうした流れの一環だが、トランプ氏が訴えられるほど、逆に支持が拡大する現象が起きている。トランプ氏が昨年8月にアトランタの拘置所に出頭した際に撮影された「マグショット」と呼ばれる被告人写真は、支持者の間で“聖画”になっているほどだ。
結局、トランプ氏を排除する試みはことごとく失敗している。懸念されるのは「何でもあり」が暴力にまで行き着くことだ。ジェイソン・モーガン麗澤大学准教授は「次に考えられるのは、暗殺という最終手段だ。暗殺リスクは決して低くない」と指摘する。
各種世論調査でトランプ氏がバイデン大統領をリードしているが、トランプ氏の優勢が鮮明になればなるほど暗殺リスクは高まる恐れがある。民主主義を守ることを名分とした度を越した「トランプ叩(たた)き」は、逆に民主主義を破壊する危険性をはらんでいる。
(編集委員・早川俊行)