
【ワシントン山崎洋介】ニクソン米政権で米大統領補佐官(国家安全保障担当)や国務長官を務めたヘンリー・キッシンジャー氏が29日、東部コネティカット州の自宅で死去した。100歳だった。現実主義を外交路線として掲げ、米中国交正常化やベトナム戦争の和平協定の実現に貢献。その後の米外交にも大きな影響を与えた。
1923年にドイツでユダヤ人の家庭に生まれたキッシンジャー氏は、ナチスの迫害を逃れるため、38年に家族と共に渡米。第2次大戦中に陸軍に入隊し、欧州戦線に従軍した。
69年にニクソン政権が発足すると、大統領補佐官に就任。ソ連とのデタント(緊張緩和)政策で外交手腕を発揮し、第1次戦略兵器制限条約(SALT1)締結に貢献した。
一方で、中国をソ連に対抗させるため、71年に中国の周恩来首相との秘密会談を行い、翌年ニクソン大統領の電撃的な訪中をお膳立てした。米中の国交正常化に大きな役割を果たしたが、その対中政策がその後の覇権主義的な中国の台頭を招いたとの批判もある。
73年の第4次中東戦争の際には、中東各国を行き来してイスラエルとアラブの調停を行う「シャトル外交」を展開し、停戦に導いた。また、ベトナム戦争のパリ和平協定をまとめたことで、同年にノーベル平和賞を受賞。ただ、その2年後、南ベトナムが共産主義の北ベトナムによって陥落したことで、批判も受けた。
今年7月には100歳にして中国を訪問し、習近平国家主席と会談。先月のバイデン大統領と習氏の会談に向けた準備の一環との見方もあった。
キッシンジャー氏の死去を受けて、ブッシュ元大統領は、「外交問題に関して最も信頼でき、際立った存在の一人を失った」と悼んだ。また「ユダヤ人家庭の少年としてナチスから逃れ、米陸軍でナチスと戦ったキッシンジャー氏を長い間、尊敬してきた」とも称(たた)えた。