トップ国際中東アサド政権崩壊、中東でのロシアの影響力低下へ

アサド政権崩壊、中東でのロシアの影響力低下へ

8日、ダマスカスのウマイヤ広場に集まる シリアの反体制派と市民(AFP時事)
ロシアが最大の後ろ盾となっていたシリアのアサド政権が崩壊した。ウクライナ侵攻に集中するロシアにはアサド政権を助ける余力はなく、見捨てた形となった。シリアには、地中海や中東、アフリカにおけるロシアのプレゼンスを支える在外基地があるが、これらを失う可能性は高い。(繁田善成)

シリアの反体制派は8日、首都ダマスカスを制圧し、ロシアが最大の後ろ盾となっていたアサド政権が崩壊した。大統領を辞任したアサド氏はロシアに亡命した。

ロシアは2015年、シリア内戦に軍事介入した。アサド政権に攻勢をかける過激派組織「イスラム国」(IS)などの反体制派を徹底して空爆し、弱体化していたアサド政権を立て直した。その後も軍事力を背景にアサド政権の後ろ盾となり、中東におけるプレゼンスを確保したのだ。

シリアにはソ連時代から維持してきたタルトゥス海軍補給拠点がある。ロシアは内戦介入の功により、補給拠点だったタルトゥスを基地へと強化し、地中海における戦略拠点とした。そして、新たにヘメイミーム空軍基地を租借した。

同空軍基地は、アフリカのマリやブルキナファソ、ニジェールなどに展開するロシア準軍事部隊への補給拠点として機能し、ソ連崩壊後に失われた影響力の回復に寄与してきた。

しかし、ウクライナ侵攻が長引く中で、ロシアは、シリア駐留軍の戦力をウクライナに振り向けた。11月27日からの反体制派の攻勢に有効な手を打てないまま、アサド政権を見捨てた形となった。

シリア反体制派は、タルトゥス、ヘメイミーム両基地の安全確保でロシアと合意したとされる。しかし、アサド政権の後ろ盾として反体制派に空爆を繰り返してきたロシアが、これまでと同じように両基地を使用できるかは不明だ。

ロシアから離れた地域での唯一の軍事的・政治的成功例であったシリアを失い、中東・アフリカ戦略に極めて大きな打撃を受けた形ではあるが、プーチン露大統領はまるで無関心だ。

ウクライナにあまりにも集中している故だろう。ロシアの多くのメディアは8日、「(ウクライナ東部ヘルソン州の)戦略的拠点シェフチェンコ村(人口約2000人)の半分がロシア軍の支配下に入った」と、アサド氏とシリアのことなど忘れ大騒ぎしていた。アナウンサーやコメンテーターらは、大統領の意向が分からない故に、シリアの出来事について沈黙するしかないのである。

ソ連時代に、シリアを巡るこんなエピソードがあった。

ソ連指導部は1982年、失脚したバッシャール・アサド大統領の父であるハーフェズ・アサド大統領との合意に基づき、地対空ミサイルシステム「S200」2連隊などをシリアに配備する決定を行った。これに断固反対したのがオガルコフ参謀総長らだ。

「兵站(へいたん)を確保できない。陸上では北大西洋条約機構(NATO)加盟国トルコが、海上では米第6艦隊が阻止するだろう。兵站のためにトルコと戦い、第3次世界大戦を始めるのか。それとも配備した部隊が敗北し、兵士が捕虜になるのを見ているのか」

オガルコフ参謀総長らは最終的に、アンドロポフ書記長を説得することに成功した。83年に計画は中止され、タルトゥスの海軍補給拠点だけを残し、ソ連軍は撤退した。

周囲をイエスマンだけで固めてしまったプーチン大統領には、オガルコフ氏のような部下はいない。ウクライナ東部での幾つかの勝利と引き換えに、ロシアはすでに戦略的に敗北している。国際的に孤立し、同盟国はベラルーシと北朝鮮だけだ。

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