
1993年9月13日にイスラエルのラビン首相とパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長が、米ワシントンでクリントン米大統領の立ち合いの下、「パレスチナ暫定自治宣言(オスロ合意)」に調印してから30年を迎えた。当時の閣議議事録が機密解除され、イスラエルの保守団体は、記念の会議を開催した。(エルサレム・森田貴裕)
エルサレムで4日、オスロ合意から30周年を記念して、イスラエルの保守団体であるエルサレム公共問題センター(JCPA)、イスラエル防衛・安全保障フォーラム(IDSF)、イスラエル勝利プロジェクト(IVP)による「オスロ合意30年、得られた教訓と洞察」と題した会議が開催された。この会議には、専門家や学者、政策立案者が集まった。
参加者らは、オスロ合意は本来の平和という目標を促進するよりも悪影響を及ぼしたと主張。IDSFの調査部門は、合意後の94~2022年のテロ事件によるイスラエル民間人の死傷者数が、イスラエル建国の1948年からオスロ合意までの9倍に増加したとの調査結果を発表した。
与党リクードの国会議員ユリ・エデルスタイン氏は、米国の中東ニュースサイト「メディアライン」で、「振り返ってみるとオスロ合意は、30年前に犯したひどい間違いだった。 残念ながら、期待は非常に高かったが、現実は大きく異なることが判明した」と語った。
当初、真の平和は手の届くところにあると信じていたイスラエル人の間に多幸感が広がっていた。しかし、2000年9月に第2次インティファーダ(民衆蜂起)が始まり、テロ攻撃の波によって平和への道は打ち砕かれた。イスラエルは、パレスチナ人と和平を結ぶことはできないとの考えに至り、05年、当時のシャロン首相の下、ガザ地区から軍隊と入植者の一方的な撤退を決定した。
IDSFの創設者兼会長のアミル・アビビ准将は、メディアラインで、「イスラエルの最大の間違いは、PLOのような残忍なテロ組織を和平協定の交渉相手として選んだことだ」と主張した。PLOは、パレスチナを解放するため、つまり基本的にイスラエルを殲滅(せんめつ)するために1964年に設立された組織だ。アビビ氏は、PLOのアラファト議長がオスロ合意後にガザで、「血を流してイスラエルと戦う」という憎しみに満ちた演説をしたことで、間違いが明らかになったと語る。
今年8月29日、機密扱いとされた閣議の議事録の30年のベールがはがされた。当時野党党首だったネタニヤフ氏率いる右派による大規模な抗議活動のさなか、オスロ合意の影響について、当時のラビン首相やバラク参謀長らが重大な懸念を明らかにしていた。閣議では、オスロ合意の結果として平和よりも暴力やテロが発生する可能性がより高くなることが予測されていた。しかし、閣僚たちは最終的に、これより良い代替策はないとして、平和のために大きなリスクを冒すことを決定。16人が承認し、2人が棄権した。
オスロ合意の前半部分が米ワシントンで正式に署名された。後半部分は95年に署名され、パレスチナ自治政府が創設され、パレスチナ人に限定的な権限が与えられた。残念なことに、オスロ合意後は数年にわたってテロが激増し、数百人のイスラエル人が死亡した。95年11月にはユダヤ人右翼過激派によってラビン首相が暗殺された。
オスロ合意は、5年以内の暫定自治期間の間に、聖地エルサレムの帰属や国境画定など最終的地位交渉を行うとしているが、30年たった今でも、その目標は達成できていない。
現在、パレスチナ情勢は不安定だ。高齢になったパレスチナ自治政府のアッバス議長に代わる後継者が誕生するまでは、和平実現の可能性は依然として低い。アビビ氏によれば、アッバス氏は昔テロリストだったため、平和を実現した人物として歴史に記憶されることを望んでいないという。アッバス氏が議長職を退いた後の人物に期待したいところだが、候補者として名前が挙がっている人物のほとんどはアッバス氏よりもテロリズムや反イスラエルに傾いているとみられている。
パレスチナとイスラエルの和平への道筋はいまだ見えていない。





