
スーダンで衝突を続ける正規軍と準軍事組織「即応支援部隊(RSF)」の代表団は7日、サウジアラビア西部ジッダで、米国とサウジの仲介により停戦に向けた直接協議を行った。軍とRSF双方は協議について、人道支援のための一時停戦が目的としており、戦闘終結に向けたものではないとしている。イスラエルはスーダンとの和平協定に調印できなくなる可能性を懸念する。(エルサレム・森田貴裕)
スーダン保健省によると、先月15日に戦闘が開始されて以降、1日までに少なくとも550人が死亡、負傷者は4900人に上った。スーダン医師会によれば、死者のうち479人が民間人という。米NGO「武力紛争地域事件データプロジェクト(ACLED)」は、約700人が犠牲になったと推計。これまでに33万人以上が国内で避難を余儀なくされ、10万人以上が国外に逃れた。

サウジ外交官によると、ジッダでの停戦交渉に大きな進展はないという。仲介役の米国とサウジは和平への道を探り戦闘終結を求めるものの、軍とRSFは人道的な一時停戦については協議しても戦闘終結の交渉は行わないと明言している。RSFのダガロ司令官は、協議を通して「民間人の安全な避難通路確保が実現されることに期待する」と述べた。ダガロ氏は、軍トップのブルハン将軍を捕らえるか殺害すると宣言しており、戦闘を終わらせる気はないようだ。
今回の衝突の中心にいるのは、ブルハン氏とダガロ氏の2人だが、両者はバシル独裁政権打倒で共闘し、軍事クーデターでも協力した間柄だ。2018年末にパン価格高騰をきっかけとして反政府デモが全土で発生した後、ブルハン氏率いる軍とダガロ氏率いるRSFは19年、協力して当時のバシル大統領を失脚に追い込んだ。30年に及んだバシル独裁政権の崩壊後も、民主化を求めるデモが続き、軍と文民の統治評議会が設けられた。最初の2年間は軍が政権を担った。ところが、文民政権に交代する直前の21年、軍は主導権を維持するためクーデターを実施。軍とRSFが全権を掌握した。
軍事クーデター以降、ハルツームや近郊で軍政に反対する数万人規模の抗議デモが定期的に行われ、治安部隊とデモ隊との衝突により100人以上の死者が出ていた。昨年12月には民政移管とそのための民主選挙に関する枠組み合意が成立した。しかし、新たな軍の指揮系統やRSFの軍への統合の期間などを巡り軍とRSFが対立。4月1日に予定されていた民政移管のための合意文書への署名は6日に延期されたが実現はしなかった。
国連、アフリカ連合(AU)、東アフリカ諸国を中心とした地域機構「政府間開発機構(IGAD)」の仲介による努力で、包括的な最終合意文書への署名が期待されたが、軍とRSFの交渉が失敗に終わり民政移管は崩壊した。そして4月15日、軍とRSFの衝突が勃発した。ダガロ氏は、戦闘が始まる前、民主化グループに接近するなど政治的な動きを見せていた。ブルハン氏は、今回の衝突はダガロ氏の「野心」によるものだと非難している。
今年後半に米ワシントンでスーダンと和平協定に署名すると発表していたイスラエルは、国際社会とも協力し、スーダンの内戦を終結させ文民政権を樹立できるようにするための停戦交渉をイスラエルで行うよう提案した。2月にハルツームを訪問していたコーエン外相は、スーダンのダガロ氏とブルハン氏をイスラエルに招待した。イスラエルとスーダンが和平協定に署名するためにはスーダンが文民政権に移行する必要がある。スーダンは20年10月、トランプ米政権下でイスラエルとの関係正常化で合意した。これと引き換えに米国はスーダンをテロ支援国家リストから除外した。
スーダンの内戦が長期にわたればスーダンが小国に分割される可能性があり、イスラエルはスーダンとの和平協定に調印できなくなることを懸念している。それはイランが率いる「抵抗の枢軸」に有利に働き、イスラエルとアラブ諸国間との正常化プロセスを損ない、中東地域の不安定化につながることになる。